7 花嫁の条件2




 くくくっと笑い出した大樹に朱音は顔を向けた。口元を押さえていた手は大樹によって外され、でも両腕は 掴まれたまま。

「ランディに助ける気はないらしい。というか、どうしたらいいんだって感じだな」

 自分の名前が出た事にハッとしながらもランディは、全くその通りだと、しかも、 いまだにどうしていいのかわからず、朱音に声を掛けるタイミングを失ったまま二人を眺めるだけ。


「わかっててやってるくせにっ!」

「さあね。って、時間なんだろ、早く行った方がいいんじゃない?」

 そう言って手を離す大樹に朱音はふんと鼻を鳴らした。

「大樹がそれを言う!?――ったく、マナティ!ちょっと来て〜っ!そしてランディはどいてっ」


 キッとランディをひと睨みして、朱音は自分で裾を抱えるとすたすたと、と言っても上げ底の靴は歩きにくくて、 すたすた歩いているつもりなのは自分だけで、介添えなしでは傍から見たらちょっと不自然。
 真正面に向って来る朱音にランディもやっと動く気になったのか、道を譲ると真菜が朱音の元に走り寄って来て、 手を取られやっとまともな歩き方に。


「本番であの靴は却下だな」

 大樹の声にランディが振返った。
 クスクスと朱音の姿を眺めながら笑うボスの表情は穏やか。女性をそんな表情で見る大樹をランディは知らない。 どちらかといえば冷めた様子で一線を引いて必要以上に口もきかず。だからてっきり女嫌いなのだとばかり思って いたのだが。いいや、それだけではない。仕事に対する冷静さや厳しさは変わらないが、ここでのボスは… 時々別人に思える時がある。

「ん?何だ、その何か言いたげな顔は」

 ふと目が合った大樹がランディに言った。穏やかな表情は一変してよく見せる皮肉屋の顔で。

「いえ、何も」

「ならいいが。そうそう、ベンに聞いたんだがおまえ達賭けをしてるんだってな。 残念ながら朱音はキャリアウーマンとは言えない、つまりおまえの負け確定」


 ベンのお喋りめ!
 内心でそう思いながらランディはふぅと息を吐いた。確かに、朱音がキャリアウーマンでないのはとても残念。 賭けに負けたからではない、どうせ負けるなら残り二つの選択肢、お嬢様か普通の娘であって欲しかったからだ。


「ベンの負けも確定です、普通でもないでしょ。 正直なところ、まさかアカネだとは思いませんでしたが」

「そうか?みんなに言わせると俺の態度はバレバレらしい。朱音には甘いんだとさ、まあそれは自覚しているが。 でもそれで気付かないおまえもかなりの鈍感だ」


 今になって思えば、初出勤日の副社長室での二人はやけに親しげだったが、 だからと言って恋人同士だとは結びつかないのが普通だろう。というより、朱音だけはそうであって欲しくないと 無意識に思っていたのか?
 しかしそれ以上に、普段クールなボスの恋愛は当然クールなものだと思っていたのに、 予想を反してまるで恋したての少年のようで驚かされる。 二年も離れていた恋人だからなのか?それにしても、もう少し冷静になってから結婚を決めても遅くはない。


「鈍感なので教えてください、何故アカネなのですか?ボスが彼女を好きなのは見ていてわかります、でも、 アカネでなくてはいけない理由は?」


 意見を言ういい機会だとランディは思った。大樹がそれを受け入れるとは思わないが、 彼の事を思えばこそ言わずにはいられない。


「愚問だな、惚れてる以外に理由が必要か?」


 確かに理由としては十分。このボスの心を射止めただけあって、いいや、別の意味で凄い女性だとは思うが…


「…いえ、そうではなくて…相思相愛の結婚は理想です。でも燃えあがった分いつか冷めるものです。 今のボスを見ているとまさにそれ、恋に目が眩んでいるのではないかと」

「そうだな、恋は盲目っていうからなぁ」

「真面目に聞いてください。 これはあくまでも意見ですが、もう少し冷静になってから正しい判断をしてもいいのでは? と、僕は思います」

「じゃあ真面目に答えようか、俺は十分冷静。熱に浮かされて間違えた判断をしたって言いたいのか?」

「そうでないことを祈ります」

「ふ〜ん、なるほど、そう思うならおまえのボスはとんでもないうつけ者だな。おまえの目にはそう映ってたか。 で、冷静になってどうしろって?この結婚はやめろとでも?それがおまえの言う正しい判断?」


 大樹の口元は笑っているがその瞳の憤りの色は隠せない。 それでもランディは臆する事なく続けた。


「正しいかどうかは分かりませんが、止めるのも選択肢のひとつかと。形に囚われなくても傍に置く術はあります」

「選択肢だって?何を意味しているのかわかっての発言だよな。 でもそれはおまえの選択肢であって俺の中の答えはひとつしかない。 何を言われようがおまえにとっての正しい判断は永遠に出ない。つまりこの件でこれ以上話す事はない」


 明らかな不機嫌オーラを発しながら、大樹はランディに背を向けるとパントリーのドアへと歩き出した。不機嫌の原因は もちろん選択肢の件。だが、決してそれは珍しい事ではないと大樹自身だって知っているはずだ。

 あくまでも意見。
 そう思いながらランディが撮影会場に目を向けると、いつの間にか戻っていた東吾と目が合った。撮影が始まるのだと ランディが速足で東吾の元へと向かうと、大樹が消えて行ったパントリーの方をちらっと見た東吾が小さな声で耳打ち してきた。


「ランラン」

「はい?」

「大樹のあのオーラ、見覚えがある」

「わかりますか?実は僕が怒らせました。不機嫌オーラ全開でしたね」


 付き合いが長いだけあって、この距離でもボスの不機嫌オーラを感じ取ったのかとランディが感心すると、 東吾がちょっとこっちへ、というように顎を動かした。
 数歩だけ後ろに下がると、東吾がふーと長い溜息を吐く。


「不機嫌?違うよ、ありゃ哀しみオーラ。微妙に違うんだよ、つっても俺も一度しか見たことないけど、 不機嫌オーラは見慣れてるから違いがわかる」

「まさか。何が悲しいんです?あれは怒っているだけです」

「いや違うね。つーかランラン何言った? 哀しみオーラ発してパントリーに消えて行く後ろ姿、あー、二年前の事がフラッシュバックする!」

「二年前?」

「はぁ〜あ、俺もうゴタゴタは勘弁、いいか、ローザで大樹に別れろ切れろは禁句。 ランランが朱音ちゃんを嫌いなのはみんな知ってるけど、だからってそれとこれは別だぞ。 余計なこと言わないで黙って結婚させてやれよ。引き裂こうなんて絶対に思うなよ、いいな」


 は?とランディは眉を寄せた。
 まるで端から別れさせようとしていると決めつけている東吾の発言。まあ確かにそれに近い事は言ったが、 別れて欲しいわけではない。それに、誤解があるようだが朱音とは気は合わないが嫌いではない。


「朱音の事は誤解です、嫌いじゃありません。それに別れろなんて言えるわけないでしょう」

「じゃあ何を言ったんだよ。あの様子は絶対にあの日を連想させる何かを言ったに違いないんだ。白状しろ、 ランラン」

「だからあの日って何ですか?しかもいつから僕はランランなんです」

「俺の質問が先、ボスに職務放棄されたくなきゃさっさと吐け。 経験者語るだ、とにかく吐け」

「不機嫌くらいで職務放棄なんて大袈裟でしょう」

「あのね、あいつ、ああ見えて意外とナイーブなの。 本当は別れろって言ったんじゃないの?知ってるんだぞ、おまえはどこぞのお嬢様を推薦してるってなっ」

「どうしてそれを?ですが、推薦したって本人にその気はゼロ。仮に別れさせたいのなら別れろなんて言わないでしょ、 火に油を注ぐようなもんです。 ただ、選択肢として別の形もあると言っただけです。即却下でしたけど」

「……は?」

「実際にボスの周りには普通にある話です。皆さん割り切ってますよ?夫婦共に、なんてザラです」

「それって…つまり愛人?」

「そうとも言いますね。でもボスが独身でいるなら恋人関係のまま、ですか」

「ハッ、つーか、ランランおまえ凄いわ、よくそんなこと言えるな。それ、別れろって言うより酷い。 んで、妻にはどこぞのお嬢様か?ざけんな、結局愛人じゃねーか、ふん、おまえサイテー」


 あからさまに嫌悪の表情を向ける東吾と、どう思われようと結構という態度のランディ。
 人として道理に反した意見をしたのは百も承知、だが、現実的にある話、大樹が聞き入れるとも思ってはいない。 でも、もしお互いに割り切れるなら、それが効果的な結果を生み出すなら、それで全員がハッピーなら いいじゃないか。所詮、形だけの事。どこがいけない、言うだけで実行するかどうかは本人の意思。


「ランランさ…」

 不意に東吾が長い溜息と共に、今度は同情の眼差しをランディに向けた。

「ちょっと歪んでるけどそれって大樹が好きだからだよな?つーか、そんな歪んだヤツに好かれた大樹もいい迷惑だけど。 でもその愛情の歪み具合、なんか懐かしい」

「?」

「なるほどね、ってことはここはやっぱり俺の出番だよなぁ。 ね、ランラン、今日暇?仕事終わったら俺に付き合わない?」

「え…えっ?」

「えっ、じゃないよ、飲みに誘ってんの。どうせ一緒に出かける友達なんかいないだろ? 部屋も仕事もホテルの中じゃつまんないよな、だから外に出ようよ。あ、ビリヤード出来る?」

 ついさっきサイテーと嫌悪したくせに誘う東吾の気が知れない。しかも一緒にビリヤード? 絶対に楽しいと思えない。


「飲んで玉突きながら語ろうよ、愛について」

「は?」

「は、じゃないよ、歪み矯正には愛について語るのが一番。大樹の胸の痛み、少しは知ろう、ランラン」

「痛みって…それはさっき言っていた“あの日”?」

「まあね。でもその前にランランも恋愛講座聞く必要あるかもね。 好きと恋と愛の違いがわからないバカには大好評、ちなみにこの講座は大樹も受けたんだからな。 そうそう、食いもんの好きと恋愛の好きの違いがわかんないヤツもいたぞ。あー、そういや愛してるくせに 愛じゃないとかほざいてフラれた最もバカな男もいたな」


 何が恋愛講座だ。恋と愛の違いも、食べ物との好きの違いもランディにはわかっている。それに愛しているか どうかについてはわかるわからない以前の問題。それを今更聞いてどうなるのだ。それよりも“あの日”何があったのか そっちの方が知りたい。


「恋愛講座なんて僕には必…」


 必要ないと言いかけた所で、東吾がポンとランディの肩に手を置いた。


「みんな必要ないって言うんだ、初めはね。 おー、そうだ、その時についでに聞かせてくれる?ランランにとって大樹の花嫁の条件って何か。唯一反対派の意見を 是非とも聞きかせてよ」


 ニコッと笑う東吾に、何も反対しているわけじゃないと言おうとしたところで今度は真菜の声。


「あ〜っ!室長ーっ、男二人でなにコソコソいちゃいちゃしてるんですか!撮影始めますよー。 ま〜ったく、ランちゃんと浮気してるって副社長にチクっちゃいますからねっ」


 東吾とランディ、二人して声の方に顔を向ければ、真菜と朱音が顔を見合わせ楽しそうに笑っている。


「付き合いの悪い大樹なんてこっちからふってやるだ。てことで、ランラン、今夜は愛を深めような」

 まったく、ここの連中の会話は、まれにどこからが冗談でどこまでが本気なのか判断出来ない。 そんな事を思いつつ、こんな時はノリで答えればOKなのはランディとて数週間いれば学習する。

「俄かカップルでも一晩で愛は深まるんですか」

「わ、びっくり、冗談言えんじゃん。でも大樹とはそうして深めて来たから」

――どんな愛だよ、それ。

「わかりました、今夜ですね」

「そ、初デート、おめかしして来いよな。しっかしランラン背ぇ高いなぁ、並ぶと俺がチビに見える。 あ、なんか今、朱音ちゃんの気持ちがわかったぞ。そーか、そーか…って感心してる場合じゃないな、仕事しよ」


 初デートでどれだけ愛が深まるんだか。
 まあ、そんな事はランディにはどうでもいい。彼が知りたいのは、兎にも角にもボスの事。時々別人になる大樹の謎が わかるのなら、男とデートも恋愛講座も苦ではない。

 ただし、当り前だが本気で愛を深める気はない。







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