番外編 勘違いな運命 1




 チーン!
 到着を知らせるエレベーターのベル。どうしてもこの音が仏壇の鐘の音にしか聞こえない。
 ゆっくり開くドアとは裏腹に、苛立ったように急いだ足取りで乗り込むと秘書課のある18階のボタンを押す。 立て続けに閉ボタンを押すが、閉じようとしないドアがもどかしくて何度も何度も閉ボタンを叩く。

 いまだに納得していない。どうして私が変人揃いの地底人と一緒なの?!

 夏目真菜なつめまな (23歳)は、企画室室長の東吾に手渡されたファイルをギュッと抱きしめた。 今向かっている18階の秘書課こそ真菜が希望した職場だった。
 短大を卒業後、一年かけて秘書検定一級を取得しこのホテルに就職した。 一年間の現場研修を終え、当然秘書課勤務の希望を出したのに、この4月から何故か配属されたのは地下の企画室。 もちろん、クリエイターとしての才能など持ち合わせていない真菜の仕事と言えば、変人達が苦手、いや、 職務放棄している事務処理やファイルの整理。

 唯一の救いは、去年第一営業部から転属してきた二人、中井と木村、そして室長の東吾がまともなこと。 しかも東吾はタイプではないがとっても美男子で何と言ってもフェミニストだ。
 ただ、配属されて半年以上たった今でも理解できないのは、そんな室長が変人三人のよき理解者だということ。 と言うより、馴染んでいる。

 変人三人組と言えば、いつも遊んでばかりでまともに仕事をしているところなど皆無、見たことがない。 いや、いつも企画室にいない。
 どこで何をやっているのかすらわからない。
 いるかと思えば、ずっとパソコンとにらめっこ。 もしくは最近企画室内に出来たミーティングルームに引き籠っている。今日だって朝三人でどこかへ行ったっきり 帰って来ない。 それなのに室長は、クリエイターは自由気ままでいいんだ。 な〜んて、お咎めなし。

 だいたいあの変人達がどうやってこのホテルに就職できたのか、未だ持って不可解。いったいどんな手段で面接を クリアしたのか聞きたいくらいだ。

 一人はやたら資格を持っていて一見まともそうだけど実はオカマだし、もう一人は暗くて無口。 映像に関しては凄いらしいけど、ちょっと長めの手入れされてない髪がもろオタクって感じ。そして最後の一人は 一番理解不能な唯一の女変人。
 聞けば高卒。真菜の記憶が確かならば、事務職の求人要項には短大卒以上とあったはず。何か資格を持っている わけでもない。いつもデスクの上は甘いものが一杯で、それよりなにより、彼女の会話はいつも論点がずれてる ような気がする。

 いつだか、いきなり彼女を訪ねて社長がわざわざ地下までやって来たのには驚いた。しかも、あの女変人は まるで友達とでもお喋りするかのように、五歳の男の子にプロポーズされた話を楽しそうにしていた。

「絶対にあれは社長でも断れないコネよ」

 一人ぼやいては、のろいエレベーターにパンプスのつま先をせわしなく上下させている。

 それ以上に真菜には気に入らないことがある。変人達が付けたニックネームだ。
 『マナティ』
 何それ。あのカバみたいな顔したイルカの出来損ないじゃない。
 なんでもかんでも名前の後ろに『ティ』や『ーナ』を付ければいいってもんじゃないのよ。

 それに加え前室長が帰って来るらしいとの情報に、最近の企画室内はどうも浮足立っている。
 噂によるとかなりいい男らしいが、50近い社長の弟だ、40過ぎの男に何の興味もわかない。

 頭上の階数のランプを見上げた。間もなく18階に到着する。
 真菜の口から小さな溜息が洩れると、仏壇のチーンが鳴ってエレベーターのドアが開いた。 乗り込む時とは違って足取りは重い。長い通路を秘書課のオフィスに向かい歩いて行く。 このファイルを秘書課主任の斎藤凜子に渡すのが目的だ。 この時ばかりは、真菜は秘書課に配属されなかった事にホッとする。 なぜなら、真菜は斎藤凜子がとっても苦手だから。





 秘書課

 ドアに掲げられたプレートを眺めて真菜は深呼吸をする。

 さっさと渡してしまえばいい。
 私以外の企画室のメンバーは、平気な顔して斎藤主任とつきあえてる。
 あの高飛車なもの言いは同じなのに、なぜみんな平気なの?変人だから?

 そんなことを思いながら、真菜が覚悟を決めてドアをノックしようと手を挙げた時だった。
 いきなり開いたドアから勢いよく出てきた人影に驚いて、咄嗟によけようと横に一歩避けた途端よろけた。 バランスを失い、倒れる!と体に力を入れ瞼をギュっと閉じた瞬間、ふわっと急に体が軽くなった。

 あ、あれ?倒れてない?

「君、大丈夫?」

 低い声にゆっくり瞼を開くと、目の前に知らない男性の顔がある。 しかも、彼の腕は真菜の背中にしっかり回され倒れそうな体を支えてくれている。そして彼からほんのり香るいい匂い。

 うわぁ!めちゃくちゃいい男…!

 真菜は彼を見つめた。彼も真菜を見つめる。
 クールな眼差しに目が離せない。
 刹那、絡み合う視線…

「いきなり飛び出して悪かった」

 彼の声に真菜は我に返ると、すぐさま態勢を立て直し頭を下げた。

「すみません!ボーッとしてた私が悪いんです」

 ちらり見上げると、彼の唇が少し緩んだ様に見えた。

「いや」

 それだけ言い残し颯爽とエレベーターに向って歩いて行く彼。

 ああ、何だろうこの胸のざわめき。
 もしかしてこれって…運命の出会い?
 あの眼差し…間違いなく私を見つめていた…

 真菜はときめきを感じずにはいられなかった。
 そして、ただひたすら背の高い彼の後姿に見とれていた。




「運命感じちゃった?」

 背後から冷たく響く声がして、真菜は一気にロマンチックな気分から現実に引き戻される。
 この声の主は承知している。 真菜は渋々振り返ると、この上なく苦手な斎藤凜子が壁に寄りかかり、腕を組んで口元には不敵な笑みを浮かベている。

「目がハートになってるわよ。でも言っておくわ、その運命、気のせいだから」

 凜子はふんと鼻で笑うと踵を返し、オフィスの自分のデスクに戻っていく。

――な、何よ!人の運命の出会いを鼻で笑って失礼な人!!

 真菜は眉を寄せて凜子を睨みつけるが、不意に凜子が振り返り咄嗟に作り笑いをしてごまかした。

「いつまでそこで突っ立てるの?用があって来たんでしょ」

 当然凜子は椅子に座るのだると思った真菜だが、自分のデスクの端にかるくお尻をのせ、 寄りかかるよう腰掛けては腕を組みこっちを見ている。

 この威圧的な態度が苦手なのよ!

 真菜は心の中で呟くと、嫌々中に足を踏み入れ凜子の横までやってきた。

「これ、室長からのファイルです。斎藤主任に渡すように言われました」

 真菜はつっけんどんにそう言ってファイルを差し出すが、何もアクションを起こさない凜子に、 真菜はもう一度ファイルを差し出す。

「あの、これ…」

 そんな真菜の差し出すファイルなど目に入らないのか、凜子はまじまじと真菜の顔を眺めると突然口を開いた。

「東条大樹」

「は?」

 真菜は小首をかしげ凜子を見た。
 この人なに言ってるの?

「あんたの運命の彼のプロフィール。聞きたくないの?」

「え?!」

「教えてやるって言ってるのよ。聞きたくない?」

 どうしたのいきなり?もしかして斎藤主任っていい人?
 そんな事を思いながら真菜は首を縦に振っていた。

「東条大樹、もうすぐ33歳、独身。明日から最高執行責任者として副社長に就任する三つの肩書をもつ男よ。そうそう、 企画室は直属だったわね、だからあんたの上司」

 じゃあ彼が社長の弟?もっと歳のいったオジサンだとばかり思ってたけど、あんなに若くて素敵だったなんて!
 しかも直属の上司だなんて、やっぱり運命の出会い!

 真菜は再びロマンチックな気分に浸る。 しかし、次の瞬間、またもそんな気分は一転した。

「やめておきなさい。あいつはあんたの手に負える男じゃないわ。興味本位で近づけば容赦なく 切り捨てられるわよ」

「な、なに言ってるんですか?」

「あら?信じてない?本当のことよ。私はこの目で見て来たんだから。あの捻くれ者はポーカーフェイスで壁を作って 女を寄せ付けないの。自分勝手で性格は最悪。だから深入りする前に忠告してるのよ。やめておきなさい。 まあ、恋は盲目って言うから、きっと私の忠告なんか耳にも入れないでしょうけど」

 真菜は凜子を睨んだ。 やっぱりこの人は苦手だ。いい人かもなんて思ったのは間違い、ただの意地悪な人!

「どうしてそんな事言うんですか?斎藤主任って私のこと嫌いですよね?それとも副社長が好きだから 牽制してるんですか?!」

 凜子は負けん気の強そうな真菜の顔を、ちらっと見ると笑いだした。

「言っておくけど別にあんたのこと嫌いじゃないわ。好きでもないけど。だいたい、 あんたの態度もろに私が苦手って言ってるもの。誰がそんなあんたを好きになると思う?それから、 私が大樹を好きなんてどこからそう思うのかしら。笑っちゃうわ。これでも私は旦那一筋の女よ」

 小馬鹿にしたような凜子の口調は、真菜の感情を逆なでするには充分過ぎる。

「だったらどうしてこんなこと言うんですか!私が誰を好きになろうと勝手じゃないですか」

「あらら、もう好きになっちゃた?一目惚れ?まあいいわ、誰を好きになろうと勝手ですもの。 恋をするのは自由、でも勘違いだもの、あいつに近づくだけ無駄。冷たくされるのが落ちよ」

「やっぱり私が嫌いなんですね。だからそんなこと言うんです。冷たくされるかどうかわからないじゃないですか」

「だから嫌いじゃないって言ってるでしょ。あんたは思い込みが激しいから忠告してるの。 あいつはね、惚れた女にはとことん甘いけど、望まないのに入り込もうとする女にはとことん冷たいから。 ま、それだけ頭に入れておきなさい」

 まるで私は最初から望まない女って決まってるみたい!

 真菜は凜子の顔をじっと見たが、凜子はまるで気にしていない。 そんな時、不意に凜子がフフっと笑った。

「あんたやっぱり思い込みが激しいわ」

 真菜はバカにされたようで思いっきり眉を寄せた。

「わからない?運命の出会いだって思い込んでるから肝心なことに気付かないのよ」

 思い込んでいるから気付かない?
 真菜は小首を傾げた。
 いったい何に気付いていないのだろう?

「彼が独身だとは言ったけど、恋人がいないとは言ってないわ」

「!!」

 そうだ、独身と聞いてホッとしたけど恋人って存在を忘れていた。 あんなに素敵な人だもの、恋人がいたっておかしくないし、もう婚約者がいるのかもしれない。
 だから私を牽制するようなことを言うのだ。

「恋人…いて当然ですよね?」

「さあ、どうかしら?本人に聞いてみれば?私はお勧めしないけど本当に運命だと思うならアタックして みるのもいいかもね」

 凜子はそう言うと、真菜の手からファイルを取り上げにっこり笑いかけた。

 4月に不本意な企画室に配属され、夏目真菜はどうも一人かたくなに打ち解けようとしない。

 バカね。あんな公私共に面白い部署、この会社のどこ探してもないわよ。
 だいたいね、人の事変人って言う前に、自分の事をもう少し理解した方がいいわ。あんたもある意味変人。 だってあの企画室でひと月以上もった女性社員は朱音以外いないんだもの。

 凜子は笑いたいのを堪え真菜の顔を見ると、どうやら真剣に何か考えている。
 実際のところ、今現在大樹に恋人はいない。 しかし、数日、いや、数時間後にはいる可能性はほぼ100%だけど。

 凜子はあえて言わない。が、嘘ではない。
 その運命が勘違いだって自覚しなきゃね。

 真菜はそんな凜子の笑顔が、何故か不気味に見えた。



――  ◆  ――  ◆  ――




 これは絶対に運命!
 仮に恋人がいたって結婚しているわけじゃない。
 恋愛においてくっついた別れたなど日常茶飯事だ。

 浮かれ気分で企画室に戻ると、さっきまでいなかった変人三人組が戻っていた。 奥のパソコンの前で女変人、朱音が東吾に何か仕事を言いつけられているのを見て、真菜はいい気味だと 内心思った。

 だいたい、変人のくせにローザの広告モデルまでやってそれ自体真菜は気に入らない。

「ええ〜、今からこれを?!」

「そう、今日の課題だよ。俺、凜子さんに呼ばれてるんだ。戻るまで一人で出来るよね」

「だってもうすぐ5時なのに?ってことは私に残れってこと?」

「あたり。だってそうでもしなきゃちっとも先に進まない。諦めて居残り、ね、朱音ちゃん」

「ええ〜っ!」

 こんなやり取りが真菜の耳に聞こえてくる。
 サボってたツケですよ、野原さん。
 真菜は内心そう思いながら頭は運命の彼の事でいっぱいだ。

 そして5時の終業時間になると真菜はさっさと退社した。
 彼女は知らなかった、この後、ここで本当の運命の出会いをした二人の再会劇があった事を。





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