番外編 君を迎えに 4




 あ〜、もうこんな時間だよ。まずいな、絶対にあいつの第一声は『遅い、いつまで待たせる気だ』だな。

 東吾は成田空港へ向かうべく高速道路をひたすら走っていた。
 途中、事故渋滞に巻き込まれこんな時間になってしまった。時計に目をやっては遅れを取り戻そうとアクセルを 踏み込む。


 この二年、東吾が大樹と連絡を取ったのはほんの三、四回。それも預かった車の件で。
 最後に話したのは多分半年以上も前の事だ。一度、朱音の様子を話そうとしたら絶対に話題に出すな、 今後も言うなと念を押された。時差と忙しい大樹が電話に出ることも少なく、留守番電話で用件を伝えるだけの 時もあって、まともな会話などほとんどしていない。

 大樹は帰って来る気があるのか?まさか本当にこのまま帰って来ないつもりか?

 時々、どこか遠くを眺めてはぼーっとしてる朱音を見る度にそう思った。

 だから、大樹が帰ってくると凜子から聞いた時、すぐにでも連絡があると思っていた。もう一度朱音を口説くと言って アメリカに行った大樹が、帰って来る理由は当然ひとつしか思い浮かばない。

 しかし待てど暮らせど一向に連絡は来ない。東吾から連絡をすれば、いつも秘書が応対してそれっきりのなしのつぶて。

 まさかあいつ、連絡もなしに帰って来るつもりじゃないだろな。
 そう思ってた矢先だ。



『よお、俺』

「どちらの俺様?」

『あれ、拗ねてるのか?そうだよな、おまえから連絡が来てたのは聞いてたが後回しにしたしな』


 昨夜遅くに掛ってきた大樹からの電話。今頃何の用だと思えば、いきなり車を返せと言ってきた。

『これからそっちに戻る。日本時間の明日16時25分成田着、車を返しがてら迎えに来いよ』

「は?何言ってんだよ、明日って俺仕事。車返すのなんか夜でいいだろ?タクシー使って帰って来いって」

『仕事?上司を迎えに来るのだって立派な仕事。頼んだぞ、もう出なきゃならない。いいな遅れるな』



 久々の会話がこれだもんなぁ。しかも遅刻だよ。

 東吾は駐車場に車を止めると第一ターミナルの到着ロビーに急いだ。家を出る前のフライト情報だと 到着が20分ほど早まるようだ。 今は16時30分。イミグレーションに荷物の受取り…ぎりぎり大丈夫だろう。



 そう思ったが甘かった。とっくにロビーに出ていたロン毛大樹が腕を組んで立っている。

「遅い。いつまで待たせる気だ」

 予想通りの第一声。

「おまっ、出てくるの早くない?」

「ファーストクラスは優先。フライト情報くらい見て来い」

「あのさぁ、迎えに来たんだからありがとうぐらい言えないのかよ」

「何言ってんだ、帰ってきた俺に一番に会えたんだぞ。逆におまえがありがとうだろ」

 ニヤっと笑う大樹に東吾は呆れて苦笑い。そして一言。

「おまえさ、外見は思いっきり変わったけど中身は全然変わってないな」

「当り前だ。さ、感動の再会は後回しで帰るぞ。駐車場は?P1か?」

 歩きだした大樹の後を追いかけながら、トンボ帰りとはまさにこれだなと東吾が思った所で 突然、大樹がくるりと振り返り手を出して来た。

「東吾、車のキー。帰りは俺が運転する。おまえの横は怖くて乗ってられない」

 あくまでマイペースな大樹に、再会後3分もせずに東吾は溜息を洩らさずにいられない。



――  ◆  ――  ◆  ――




 高速道路に入って暫く行った所で渋滞にはまった。のろのろとしか進まない車に少しイラついたように、 大樹はハンドルを抱え込み渋滞の先に目を凝らしている。

「ったく、だから日本の高速道路は嫌いだ」

 車に乗ってからずっと黙っていた大樹がやっと口を開いたのがこのセリフ。思わず東吾の返事は憎まれ口になる。

「じゃあ帰ってくんな」

「そうはいかない。おまえに口をきいて貰えなくなると寂しいからな」

「へぇ、その約束覚えたたんだ」

「ああ、だから返して貰っただろ」

 って、車の事かよ!

 何が可笑しいんだかふふんと笑う大樹を尻目に、東吾は足を組んで窓の外に視線を向けた。

「よし、久々の運転も楽しんだし、そろそろ本題に入るか」

 東吾がぱっと顔を運転席に向けた。本題って、帰国早々いきなり仕事の話でもするつもりなのだろうか?

「時間がない。だからここまで来てもらった」

「車中会議でもする気かよ。そんなに忙しいのか?」

「まあね、急いで帰国したからな。これから帰ってひとつやっつけなきゃならない仕事がある。明日は出社だし その前におまえと話しがしたかった」

「おまえの趣味は仕事か?やっぱ理解できないや。で、話って?」

 ゆっくりと前の車が動き出し、大樹は体を起こすとアクセルを少し踏み込んだ。

「朱音は…どうしてる?」

 呟くような大樹の声。話がしたかったと聞いた時、恐らく朱音の事だろうと予想はしたが、 もうずっと前から東吾は決めていた、今更尋ねてきたってそう易々と教えてやるもんかと。

「ふん、この二年、一切朱音ちゃんの事なんか聞いてこなかったくせに。帰った途端なんだよ。それとも なにか?欲求不満も限界?」

「おまえって、どうでもいい事は覚えてるんだな」

「あんな告白聞かされて忘れるわけないだろ。で?相変わらず役立たず?」

「さあ?試してないからわからないな」

「え?ってまさか…大樹が?二年も…?、いやいや、嘘だろ?!」

 驚きの眼差しで大樹を見れば、それがどうした?というような顔で真っ直ぐ前を見ている。

「それ、今しなきゃいけない話か?」

「あ、いや、その話はまた今度。朱音ちゃんなら相変わらずあの調子で元気だよ。で、もちろん大樹は口説きに戻って来たんだよな? まだ惚れてるんだよな?」

 少し間をおいて大樹が答えた。

「ああ、最近じゃ夜な夜な夢に出てきて俺を悩ませる」

 そして短い溜息を吐く。前を見ればまたのろのろと止まりそうなスピードしか出ていない。

「あ〜、そりゃ欲求不満の体にゃ毒だな。こうなったらさっさと落とすしかないね。でもなぁ、必ずしも朱音ちゃんが おまえと同じ気持ちでいるとは限らないぞ。忘れるには充分な時間だよ、二年は」

「わかってる。それでも俺は取り戻したい。二年経った今でも俺が一緒にいたいと願うのは朱音だけだから」

 あ〜あ、恥ずかしげもなくよく言えるよ。だったら別れなきゃいいのに。

 東吾は心の中で呟きながら大きく息を吸い込んでは吐き出して、大樹の顔をじっと見た。

「愛、だぁね」

「そう、愛」

 こっちを見てニコリ笑う大樹に、東吾は自分の方がこっぱずかしい気分。ふんと鼻を鳴らして、仕方ないなぁ、と ちょっとだけ最近の朱音の情報を教えてやるかと思う。

「その愛に免じて特別に教えてあげるよ。今現在、付き合ってる男はいない。ただ、心の中まではわからないからな。 おまえの話題なんか出ないしどう思ってるかなんか俺は知らない」

「・・・・・・・」

 笑顔は消えて黙って前を見る大樹に、東吾はもっと焦らせてやれと思った。

「それに最近じゃ社内で朱音ちゃんを狙ってるヤツが結構いる。ついこの間なんか結婚を申し込まれてた。 朱音ちゃん、満更でもない顔しちゃってさ、考えておくね。だって」

 これは余計な情報だったかな、と、ちらり大樹を見れば少し険しい顔で前を睨みつけている。
 そうだ、大樹は思いのほか嫉妬深いんだ、余計な情報で嫉妬心に火をつけたか?

「そいつって…年下の母性本能をくすぐるタイプの男?」

 大樹が低い声で呟いた。
 あれ?なんで知ってるんだ?と東吾が小首を傾げた時だった。

「ふん、兄貴が言ったのはでまかせじゃないってことか。で、その男ってどんな奴?」

 鋭い目つきの大樹に、ありゃ、やっぱり火がついちゃったか、と東吾は心の中で苦笑い。だったらもっと煽って やるのも面白いと、腕を組んでふふんと笑いながら口を開いた。

「年下で男のくせにこれがまた可愛い顔してるんだ。まだ若いから世間知らずな所はあるけど、 凜子さんいわく、あれは将来大物になるって今から期待大。二人の会話なんて聞いると平和だなぁ、なんて思っちゃう んだよな。しかし朱音ちゃん、オヤジどころか年下にも人気とは意外だったよ。大樹、おまえまたフラれるかもな」

 笑い出しそうなのを堪えながら、どんな反応を見せるのか内心楽しみな東吾の期待を見事に裏切るように、 大樹は余裕で不敵な笑みを浮かべた。

「平和な会話だって?そんな男に朱音が満足するわけないじゃないか。言ったはずだぞ、朱音を扱える男は俺以外に いないって。世間知らずな年下には到底手に負えない」

「そうだけどさ、好きならそんなの二の次じゃないのか?相手に合わすのも愛」

「ならば強硬手段。奪う」

 ハハハ…やっぱり奪うんだ。

「そこまで言うならやってみろよ。早速明日にでもチャンスを作ってあげようか?最近よく居残りで勉強させてるから、 まずは第一段階、感動の再会でもしてくれば?」

「話が早いな。おまえにチャンスを作って貰うのは不本意だけどな。言っておくが第一段階どころか一気に最終段階だ。 でなきゃ今後の仕事に影響する」

 ふ〜ん、なるほど、それで時間がないか。ま、その自信たっぷりな所は大樹らしいっていえば大樹らしい。


「それにしてもみんなして俺を煽るのが上手くなったな」

 ちらり東吾を見て、ニッと片方の口角をあげる大樹。

 おっと、もしかして乗せられたフリで俺にチャンスを作らせた?
 まったく、どうして素直にお願い出来ないかな。ま、それを聞いた所で、それが俺のやり方だって言われるのが オチだな。ハハッ、所詮大樹にはかなわないや。

 東吾がそんな事を思いながら前を見ると、いつの間にか渋滞は緩和されていた。




――  ◆  ――  ◆  ――





 さて、行くか。

 大樹はスーツの襟を正すと企画室のドアに手をかけた。
 やっと会える。夢ではない現実の朱音に。
 久々に会う朱音は、いったいどんなリアクションを見せてくれるのだろう。
 そう思うだけで自然と口元はほころぶ。
 不安な気持ちがないのかといえば嘘になる。しかし、それよりも朱音に会える事の方が勝る。

 ドアを開けて中に一歩入ると、すぐに朱音の姿が目に飛び込んできた。誰かが入って来たのに気付いているはずなのに、 気にする様子もなくデスクに頭を伏せたまま。

 あ〜あ、どうして誰が来たのかすぐに確認しないんだ。社内だろうと悪い奴はいるかもしれないんだぞ。

 ふぅ、と心の中で溜息を吐くと聞こえてきたのは朱音の情けない声。

「東吾さ〜ん、もうギブアップ…」

 東吾と決めつけてるわけか。だったら少し驚かせよう。

 大樹はふふんと鼻で笑うと朱音に近づいて行った。それでも顔をあげる様子のない朱音のすぐ横に腰をおろすと、 上から横顔が良く見えた。ずっと、ずっとずっとこの目で見たかった朱音の顔。

「ん?東吾さん?」

 すぐにでもその頬に触れたい衝動を抑え、大樹は相変わらずキャンディーやチョコが山盛りの籠に手を伸ばした。
 このシチュエーションならこれだな。そう思いながら棒付きキャンディーを手にして、包みを剥がしながら 朱音の顔を見ればなんだかムッとしている?

 まさか勝手に取るなって思ってる?そんなこと思う前にまず俺が誰かだろ。

 しかし朱音にそれを求めた所で、どうせすぐに忘れて同じ事をするのはわかっている。だったら、これは朱音に渡す為 だと示す方が先だ。

 大樹は朱音の目の前にキャンディーを差し出してみる。さあ、どうする?

 少しだけ躊躇うように伸びてきた朱音の手。その時、不意に指が触れた。ほんの指先だけなのに懐かしい朱音の感触。
 すぐにクスッと笑い声がして、思わず大樹も笑顔になる。

 さて、朱音はどう出る?

 胸がわくわくした。どうするのか予想できないのが朱音だ。

「これはこれはTOJホテルグループの元第二営業部部長、兼元営業企画室室長の東条大樹さんじゃありませんか」

 なるほど、そう来たか。
 朱音がそのつもりなら俺も行かせて貰うよ。悪いけど平和な会話は今日で終わりだ。

 大樹はクスクスと笑った。

 早速始めるよ。
 そうだろ朱音、俺が帰ってきた以上、刺激的な方が断然いいに決まってる。

 

※この後本編26-1に続きます。そして次のおまけにつづく…





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