9 歓迎せざる者 -1




 夕方、朱音を送って帰ってきた大樹はそのまま書斎に向かう。
 突然呼び出された午前中の打合せで余計な仕事が増えてしまった。

 さてどうしたもんか。椅子に深く腰掛け、まずは東吾に話さなければと思うが、それ以上何も考えられない。 頭が動かないと言うべきか。
 天井を眺めて溜息を吐き、視線を落とすと朱音が使っていたノートパソコンが目に入った。

 ゆっくりと椅子から腰をあげ、パソコンの前に座ると電源を入れる。朱音は何をしていたのだろうと 履歴を調べたが見事綺麗に削除されている。

「何が機械音痴だ」

 昨日の教訓からかドア側に顔を向けていた朱音に口元を緩める。
 何をしていたかなどおおかたの予想はついている。

 それにしても不測事態とはいえ東吾以外誰も入れたことのないこの部屋に、 まさか連れて来ることになろうとは思ってもいなかった。
 無防備に眠る朱音を前に、 ――よく襲わずにいれたな。と、自分の自制心に感心しながらも、実はかなり悶々としている。

 頭が働かない理由はこれだ。そういえばどのくらい女を抱いていないだろう。まったく男の性ってやつは 実に面倒で、溜め過ぎは思考能力に影響する。
 しかも目の前にその欲情の根源がいるというのに手を出せないのは、この先どこまで自制心が利くのか 正直自信がない。

「浮気厳禁ねぇ」

 大樹は一人呟いてみる。
 ばれないように浮気することなど簡単だが、そこまでして他の女を抱きたいとも思わないし、 恐らくまた役立たずだろう。

 考えれば考えるほど益々気分が悶々とする大樹は、とにかく体の表面だけでもさっぱりさせようと シャワーを浴びに浴室へ向かった。


 大樹は洗濯機の上に綺麗にたたんである、朱音が着ていたパーカーとスエットを無造作に手にすると、カタッと小さな音を 立てて何か足もとに落ちたような気がした。
 足元に目をやると、USBメモリがまるで見つけてくれとばかりに落ちている。
 大樹はそれを拾い上げるとすぐに持ち主が誰だか理解して、せっかく履歴まで消したのに肝心な物を忘れていった朱音 に笑えた。

 早速書斎に戻り、プライベートなものならすぐに閉じてしまえないいと、メモリを差し込みファイルを開く。

 大樹はひと通り目を通すと、悶々としていた事などすっかり忘れファイルを閉じる。メモリを抜いて大事そうにデスクの引き 出しにしまうと、そのまましばらく仕事に没頭した。



――  ◆  ――  ◆  ――



 翌日の夜、東吾は地下へ続く階段を下りて行くと古ぼけた木製の扉を開けた。
 開けた途端、店内からリズミカルな音楽が響いてくる。扉を閉め奥のカウンターに大樹を見つけると、よお、と手を あげた。

「悪いな東吾、休みに呼び出して」

 先に来ていた大樹はほとんど空になっているグラスを置くと、東吾の為に隣の椅子を引いた。
 バーテンにジントニックを注文した東吾は、煙草をふかす大樹に迷惑そうな顔をして見せる。

「ほんとだよ、俺は今夜フロントの美女達との飲み会を早めに切り上げて来たんだぜ、感謝して欲しいね」

「日曜に飲み会とは、おまえも元気だな」

「大樹もオヤジ臭いこと言うなぁ。言っとくけど、おまえみたいに地位もコネもない俺としては、いざって時の為に 現場の連中と仲良くしておく必要があるんだ。それに今日は半分仕事も兼ねてたんだよ、結婚について女性の意見を聞くって 仕事のな。」

 東吾はちょうどバーテンが出したジントニックのグラスを手にすると、くいっと口を付けて横目で大樹を見た。

「で、どうせ呼び出したのは仕事だろ?人にモバイルパソコンまで持ってこいなんてさ」

 大樹は自分のグラスを片手に中の氷をからから廻すと、「半々」と答えた。

「半分は違うんだな。なに、朱音ちゃんのこと?一昨日おやじのオフィスに行ったんだろ。もしかして上手く行った?」

 グラスを傾ける東吾はニヤニヤしていたが、そんな東吾を横目に大樹はグラスをバーテンに差出しおかわりを頼む。

「いちいちおまえに報告するつもりはない」

「俺だっていちいち聞こうなんて思ってないよ。でも戦況くらい教えてくれてもいいんじゃない?」

 大樹は片口をあげて笑うと、新たに出されたスコッチ入りのグラスをまたからから廻した。

「予想以上に苦戦」

「大樹の腕も落ちたな」

 ハハハと東吾は声をあげて笑うと大樹の背中をパンとひとつ叩いた。

 お互いにまだ身も心も若い学生の頃、一人の女をどちらが先に落とせるか勝負してたもんだ。と、東吾は昔を 思い出した。
 スーツ姿と違い、普段着の大樹の容姿は見た目より少し若く見えるかもしれない。

 タイプこそ違うが男の東吾から見ても大樹は溜息が出るほど男前だ。
 この数年でひと際クールな雰囲気とその存在感にますます磨きがかかり、どんな隅っこにいようが見逃し ようがないほど目立ってしまう。強いて言えば大樹は近寄りがたい雰囲気があるのが難点だが、本人がそれを望む 以上どうしようもない。

 フェミニストで柔らかい雰囲気の東吾には到底マネのできるものではないが、顔立ちの綺麗な東吾もそれなりに目立つ。そんな 二人が並んでいれば否応なしに女性の視線がチラチラと向けられる。

「おまえさ、その近寄るなオーラで朱音ちゃんを怖がらせたんじゃない?」

「バカな、口説くのにそんなオーラ出せるか。でもおまえの言う通り普段と違うことをするのはなかなか面白いな。 おかげで新しい発見が出来た」

「そりゃよかった。ま、予測不能な不思議ちゃん相手じゃ発見だらけだろ」

 東吾の言う発見は朱音のことだろうか。掴みどころのない朱音の言動は大樹にとって発見というよりむしろ刺激で、 大樹の言う発見はその刺激によって、自分でも信じられないくらい本気で朱音を口説こうとしている事だ。
 そんな東吾の思い違いにフッと笑うと、東吾がまた思い違いをしたようだった。

「思い当たってるね。ほんとに不思議ちゃんだろ」

「そうだな。でもなんとなくパターンは掴めたって感じだ」

「早っ、それだけマジってことか。それより肝心の仕事って何だよ、さっさと終わらせようぜ」

「まあそう言うなって。夜は長いんだ、たまには俺に付き合ってナインボールでもどう?」

「あれぇ、日曜の夜は遊ばないんじゃなかった?」

 そう言いながら東吾は大樹より早くハイチェアーから腰をあげていた。





 手玉をキューで撞くとスカーンと気持ちいい音が響き的球がポケットに落ちた。
 大樹はタップへチョークを塗りつけながら、昨日の急な打合せの内容を東吾に伝えた。

「え、社内プレゼンって、だってあれは大樹に一任じゃなかったのか?」

「頑固頭の役員連中はあれじゃ気に入らないってさ。すでにチャペルがあるのに必要ないって。急遽一課で企画チームを 編成するそうだ。今まで通りカフェ中心のパーティールームで行きたいようだな」

 東吾は大樹の話を聞きながらも確実に手玉を撞き、9番ボールをポケットに落とした。

「はい、俺の勝ち」

 負けた大樹は悔しそうに髪をかきあげると、ポケットから的球を取り出しラックに詰め始めた。

「もう一回」

 勝つまでやる気だなと、東吾はキューにチョークを塗る。

「その一課とのプレゼンはいつ?」

「ゴールデンウィーク明け」

「あとひと月ちょっとしかないじゃないか、まだ何も準備してないぜ。あー、やっぱり今日の飲み会最後まで いれば良かったな。それにしたってうちのヤロー共だけじゃどうにもならない」

「二課の女子を使えって言っただろ。早速明日にでも人選してさっさと準備にとりかかってくれよ」

「あー、めんどくせ」

「そう言うな。その代りおまえが喜びそうな情報を提供してやるから。」

「どんな情報だよ。たいしたことなかったら怒るぜ」

「それは後のお楽しみ。まずはこの勝負を終わらせてから」



――  ◆  ――  ◆  ――



 大樹は最後の勝負に勝利すると壁際のカウンターチェアーに軽く腰かけ、煙草をくわえると東吾に箱ごと差し出す。

「禁煙中」

「何度目の?」

 箱を引っ込めた大樹はくわえた煙草に火をつけて、数回煙を吸っては吐くを繰り返すと、東吾が恨めしそうに煙を 目で追っていた。

「東吾、オーシャンヴィラのことで聞きたい事があるんだ。たしかおやじさんにウェブデザイナーを教えろって 言ってたよな。」

「言ったよ、でもおやじは絶対に教えないって」

「知ってどうするつもりだ?」

 大樹が吐き出す紫煙に目をやりながら、「ん?」と気のない返事をする東吾に、大樹はどうせいつも禁煙に失敗するんだし、 たいした本数を吸ってるわけでもないんだから、我慢しないで吸えばいいのにと呆れる。

「あ、知ってどうするかって?そりゃ新人確保。企画室にもう一人か二人欲しいって言っただろ。どうせなら すぐ使いもんになる奴の方がいいから自分でいろいろ探してるんだ」

「そのすぐに使いものになりそうなのがそいつってわけか」

「そう。多分ヴィラでアルバイトしてる学生だと睨んでる。プロにしちゃ少々雑だからそう思ってるけど、 なかなかセンスはいい。学生のうちから目を付けておくのもいいだろ?」

 大樹が煙草を吹かしながら遠くを見るような目をしている時は、たいがい何かを考えている。

「聞いてどうする気?」

 東吾の声に視線を戻した大樹は、煙草を灰皿でもみ消すと上着のポケットから何やら取り出し東吾に渡す。

「これ、見てくれないか」

「メモリ?なんの?」

「いいから見てみろ。おまえの欲しい情報だから」






「大樹、煙草くれ」

 東吾は画面を食い入るように見ながら手だけ大樹に伸ばす。

「禁煙は?」

「んなもん撤回。整理出来ない頭で何か考えるには煙草」

 どこかの誰かと同じだな、違いはチョコか煙草かだけ。
 そんなことを思いながら大樹が煙草を一本東吾に渡すと、  禁煙中のくせに何故か持参のライターで東吾は火を点けた。

 吸っているより、指に挟んでいる時間の方が長いと思われる東吾の煙草は、フィルター近くまで短くなっていて、東吾の 指が熱いと感じるのはもう間もなくだと、大樹はその煙草を見ていた。

「これ、どこで手に入れた?」

「拾得物」

 東吾の指の結末の方が気になってそこから目を離さずに大樹が答えると、次の瞬間東吾の顔が一瞬歪んだ。

「熱っ!」

 あわてて灰皿に煙草の残骸を放り込み、手をぶらぶらさせながらも、パソコンの画面から目を離さない東吾の 集中力に感心していると、東吾が口を開いた。

「間違いない、これ、オーシャンヴィラのだ」

「根拠は?」

「イラストデータに画像、それと何故か昨日更新されたウェブページと同じ文章のhtmlファイルだけある」

「じゃあこれは間違いなくヴィラのなんだな」

「ああ、絶対。って誰なんだよ、おまえ知ってるんだろ、教えろ」

 やっとこっちを向いた東吾に、大樹は真顔で尋ねる。

「どうしても企画室に欲しい?」

「当然。だってこいつヴィラのイベント企画もやってるんだぜ、おやじが白状した。あのヴィラの規模じゃイベントって 言ってもたいしたことじゃないんだけど、大樹は資料見てないか?小規模ながら面白いことやってるんだよ。リピーターも 多い。だから絶対に欲しいんだよ、もったいぶらないでさっさと言え、大樹」

 そうか。とだけ言って何か考えるように黙っている大樹に、  東吾は少しイラついたようにオイ!と声をかける。

「悪いが東吾、俺はあまり歓迎しないな。恐らく本人も望んでない」

「なんだ知り合い?それにしてもおまえが歓迎しないなんてそんなにやな奴とか?」

「やな奴、じゃないな、むしろ面白い」

「じゃあどんな問題があるんだよ」

「問題?それは俺が歓迎しないってことだろうな」

 大樹のもったいぶった言い方に、東吾はわざとそうしているのだとわかっていたが、物凄く知りたい事を自分だけが 知らないというのは気持ちのいいものではない。

「だから誰だって聞いてんだよ、もったいぶらないでさっさと言え!」

 イラついた勢いで強めの口調で言う東吾を横目に、大樹は口元を緩め一呼吸分ゆっくり溜めてやっと答える。

「それ、予測不能の不思議ちゃんの忘れもの」

 え?と、目を丸くしながらぽかんとする東吾の顔が、次の瞬間まるでコマ送りを見ているように怒った表情に変わっていく。

「おやじのヤロー、散々はぐらかして朱音ちゃんだって?まさに灯台下暗しじゃないか!すっげぇー騙された気分」

「俺にいわせりゃ気付かないおまえも鈍いぞ。だいたいが元花嫁候補だろ、それくらいの情報は把握しておけ」

 呆れた眼差しを向ける大樹に、東吾は首を振りながら大きな溜息を洩らす。

「なんで歓迎しないんだよ。おまえが歓迎しなくても俺は大歓迎、絶対に企画室に入れる」

「入れるかどうか決めるのは俺だ」

「おまえがなんと言おうとこれだけは譲れない」

「使えるかどうかもわからない不思議ちゃんを?」

「フン、クリエイターなんてみんな不思議ちゃんだよ。おまえは不思議ちゃんパワーを知らないんだ」

 不思議ちゃんパワーねぇ、んなもん知るか。

 実際にクリエイターでない大樹にはわからない分野だ。
 普段仕事で滅多にムキになる事がない東吾がこれだけ言い張るのだから、 不思議ちゃんなりのセンスがあるのかもしれない。でも正直なところあまり歓迎してないのは事実だ。

「しかし東吾、彼女が簡単に承知するとは思えない。ヴィラに戻りたいって希望が出てる」

「説得すればいいんだろ」

「おまえが?この俺でさえ苦戦してる相手に?」

 鼻で笑う大樹に東吾はムッとした。
確かにビジネスの交渉事は大樹に敵うはずない。 でも大樹が苦戦しているのは仕事の交渉じゃない。

「まあ無理だろうな」

 小馬鹿にしたような大樹の眼差しを睨み返す。
 すると大樹が腕を組んで片方の口角をあげた。

「こうしようか、もしおまえが説得出来たら俺は一切口出ししない、おまえが好きに使っていい、俺の管轄外って ことでな」

「出来なかったら?」

「そうだな、今後一切朱音のことは諦めろ」

 どうせ出来ないだろう。
 そう言われているようで、東吾はやってやろうじゃないかとすぐにこう答えた。

「言ったな、出来たら俺の好きにしていいんだな。いいか、元花嫁候補の彼女はおまえに譲ったがこっちの彼女を 譲る気は全く無い。おまえはおまえで勝手に苦戦してろ、俺は俺のやり方で落とす」

 やけに真剣な東吾に大樹はフゥとひとつ息を吐く。

「言い切ったな」

「ああ、男に二言は無い」

 胸の前で握り拳を作る東吾はやる気満々で、大樹に挑戦的な眼差しを向けている。

「そりゃ助かった。不思議ちゃん相手にふたつの交渉事は正直キツイと思ってたんだ」

 ニヤッとしてから厭味なくらいにっこり笑う大樹に、東吾はもしかして…?と気付く。

「めんどーだからって俺に振ったのか!」

「まあね。でも特約として東吾の直属だよ。煮るなり焼くなり好きに使え。どうだ悪くないだろ?」

 ムキになったりしなければ、もしかして大樹が何とかしたのかもしれないと思うと、東吾は額を抱えて首を振った。
 そんな特約いらないから大樹がやってくれと、今さらだけど言いたい。
 カッカしていたせいもあって、俺は俺のやり方で落とすと言ったものの、いや、あれは上手く言わされたんだと思い直す。  正直なところ全くと言っていいほど自信はない。

 かと言って言い切った手前、大樹がすんなり交渉を代わってくれるとは思わない。
 はぁ〜〜〜あ。長い長い溜息を吐いた後、情けない顔になる。

「なぁ、聞いていい?なんで歓迎しないんだ?苦戦の原因は?」

 尋ねられて大樹は一呼吸分の時間考えてみる。

「両方とも予測不能だから、かな?」

「よくわからないけど、なんだか自信なくなってきた」

 東吾がガクッと肩を落とすと大樹がくくくっと肩を震わす。

「助言をくれた東吾に助言返し。頓珍漢とんちんかん な答えが返ってきてもいちいち反応するな。聞き流しておまえは自分の主張を すればいい」

 東吾はちらっと大樹を見ると、なんだか楽しんでいるように見える。
 ふと、あれ?と疑問に思った東吾がそれを大樹にぶつけてみた。

「おまえさ、歓迎しないの?入れたいの?どっち?さっきから聞いてりゃ何とか入れるように仕向けてない?」

「個人的には歓迎しない、でも仕事なら仕方ないだろ。だからおまえが失敗するのを祈ってるよ」

 ふ〜ん、いまいちどっちなのか分からない。
 いつも明確な答えを言わない大樹を不満げに見ると、

「まあ、がんばって“説得”してくれよ」

 と、東吾はフンと鼻で笑われた。





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