6 お試しデートの勧め -1




 翌日、大樹が帰り支度をしているとドアがノックと同時に開いた。

 東吾か。
 今日は珍しく朝から顔を合わすことなくいられたのに、毎日毎日飽きずによく訪ねて来るも んだと、大樹は半ば呆れる。

「あれ、今日はずいぶん早い帰宅だね」

 オフィスに入る早々東吾が口を開いた。

「何か急用?」

 大樹は手を止めずに支度をしている。

「いや、悪かったなと思って」

「何が?」

 大樹は手を止めると東吾に顔を向けた。

「おまえをイライラさせたこと」

「なんだか気持ち悪いな。裏があるんじゃないかって勘ぐるぞ」

 片方の唇を一瞬あげた大樹はこれだけ言うと再び手を動かし始める。

「ない、断じてない」

 東吾は何もないと両手をあげてみせた。

「それより大樹、例の熱愛中の噂だけど」

「またその話?」

 つい今しがた謝ったのは何だよ。

 大樹はスーツのジャケットを乱暴にハンガーから取ると腕を通す。

「真面目な話なんだけど」

 東吾の真剣な顔に大樹は大きな溜息を吐くと、仕方ない様子で東吾に体を向けた。

「で?噂がどうした?」

「予想以上の速さで進化したぞ、おまえは結婚するらしい。しかもうちのおやじとおふくろ  の耳に入った」

「結婚?!」

 聞いた大樹は大きな溜息を吐く。
 その場しのぎのはずだったのに。と大樹は心の中で呟く。

 女と二人でいるのを見られたのは一度や二度ではない。確かに付き合っていると言ったこと はないが名前を言って紹介した事もあったのに、なんで今回ばかり噂が広まる。

 大樹はもう一度溜息をつく。

「それで、何か聞かれたんだろ」

「俺は否定も肯定もしなかった。もちろん噂の相手が朱音ちゃんだともいってない」

 悪いな大樹、嘘だけど。

 東吾は心の中で手を合わす。

「初めは俺も面白半分でからかったりしたけど、ここまで噂が広まるとは思ってなくてさ。 このままいけばそのうち朱音ちゃんに迷惑かかるしね。話がややこしくなる前に何とかし た方がいいと思うよ」

 大樹は少し考えるように目線を下げる。

「そうだな、正直こんなに広まると思っていなかった。専務には俺がきちんと説明する。 そのうち噂も消えるだろ」

 冷めた笑みを浮かべる大樹を心配するように東吾が顔を覗きこむ。

「でもいいのか?そしたらまた縁談攻撃が始まるよ」

「やめさせればいいだけだ」

「簡単にいくかな?」

「無理だろうな」


 苦笑いで答える大樹に東吾がぼそっと呟いた。

「嘘じゃなくなればいいんだ」

「え?」

「いや、なんでもない。本当に付き合えば嘘にならないと思ったけど、考えてみたらおまえ の好みってクールビューティーだもんな。このままフリを続けたっておやじが許さないだ ろうし……」

 東吾は困った顔で大樹に笑いかける。
 大樹はフッと東吾に笑い返すと、ジャケットの襟を綺麗に整えビジネスバッグを手にした。

「あ、そうだ、朱音ちゃんからの伝言、ってかおやじ経由だけど」

 刹那、大樹の動きが止まる。

「伝言?」

「東京のオフィスを閉めたらヴィラに戻りたいって。元々あっちにいたから」

「わかった、考えておく」

 無表情で答える大樹を横目に東吾は心の中でニヤっと笑うと、オフィスを出ようとドアノブ に手をかけた。

「帰り際に悪かったな。何、デート?」

「ああ、おふくろと」

「へぇ、珍しい。明日は雨だな」

「しばらく会ってなかったから兄貴がうるさい。おまえは?帰るならついでに送るけど」

 大樹はデスクの上の車のキーを東吾に見せる。

「まだ仕事」

「そうか」

 そう言うと大樹は東吾が開けたまま押さえているドアに向かって歩き出した。
 大樹がドアの前まで来ると東吾が思い出したように口を開く。

「あ、おまえなんだか欲求不満とか言ってたよな。そんな時は普段と違うことをやってみる といいらしいぜ。何かの本で読んだ記憶がある」

 にっこり笑う東吾に大樹は片口をあげて笑い返すと、「貴重なアドバイスありがとう」 と言って部屋を出た。

 東吾は腕を組み大樹の後姿を見ていた。
 さあ天邪鬼で鈍感な大樹君、これからどうするかねぇ。
 思いながらおもむろに携帯電話を取り出すと手早くボタンを押す。

「あ、俺。大樹はこれからおふくろさんとデートだって。今オフィスを出たところ」


――  ◆  ――  ◆  ――


 大樹が席に案内されると母の美佐子はすでに待っていた。

「ごめん、待たせた?」

「大丈夫よ」

 にっこり笑う母に大樹も微笑み返す。

「話は後にしてとりあえず頼もうか。俺、昼を食べそこなって腹減ってるんだ」

「ちゃんと食べてる?フミさんに持たせてる食事もほとんど手を付けてないみたいだし」

 心配そうに顔を覗きこむ母に大樹はフゥと肩を落としながら息を吐いた。

「何度も言ってるけど持たせる必要ないし来て貰う必要もない。身の回りの世話ぐらい自分 で出来るから」

 もう何度も聞いたセリフを美佐子はたいして気にも留めず、またその度に自分が言うセリフ を繰り返す。

「外食ばかりじゃダメよ、これだけは譲らないからね。フミさんにはこれかも行ってもらい ます。大樹がお嫁さんを貰うまではね」

「はいはい、もうわかったから」

 大樹はめんどくさそうにそう答えるとメニューを母に差し出す。

「何がいい?」

「お腹空いてるんでしょ、大樹に任せるわ」

 いつもそうするように美佐子はにっこり微笑むとメニューを大樹に戻した。


 大樹が自分の好みでひと通り注文すると、その量に美佐子は呆れた顔をした。

「相変わらずよく食べるわね、こんなに頼んで大丈夫?」

「さあ、腹が減り過ぎて欲張ったかもな」

「でも元気そうで安心したわ」

  美佐子は大樹の顔色や頬の肉付きを確認するように顔をまじまじと眺める。
そんな母に大樹はフッと笑う。

「母さんは?」

「何も変わりはないわ」

「そう」


 美佐子は取り留めのない日々の出来事を大樹に楽しそうに話していた。
 久々に会った息子は時折頷きながら母の話に耳を傾けてくれている。
 ひと通り話し終えると、美佐子は思い出したように大樹に話しかけた。

「ねえ大樹、基樹がいろいろ世話焼きしてるみたいだけど」

 申し訳なさそうに話を切り出す母に大樹は小首をかしげて聞き返す。

「縁談のこと?」

「余計なお節介って思ってるわよね?でも許してあげて」

「わかってる、でもかなり迷惑」

 わずかに眉を寄せる大樹に美佐子も眉を寄せた。

「基樹も心配なのよ、あなた一人暮らしだし。それに基樹には女の子しかいないから早く 大樹が結婚して男の子が生まれるのを期待してるのよ」

 伏せ目がちに話す母に大樹は聞こえないように溜息を洩らす。

「別に一人で不自由してないし俺は後継ぎじゃない」

「そうよね。でも基樹から聞いたわ、お付き合いしている方がいるって」

 大樹は驚いて母を見ると、顔をあげた母はこれが本題と言わんばかりの満面の笑顔。

 よくよく考えれば当たり前のことだった。
 あの兄が母に言わないわけがない。
 バカ兄貴、せめて俺に確認してから言えよ!

 心の中で罵ったところで自分でまいた種だ。そもそも母に会えと言ってきたのも探りを入 れるためだと何故気付かない。どうも最近の俺はどこか抜けてる。

「ねえ、どんな方?年は?どこで知り合ったの?お仕事は?」

 どうやってこの話の収集をつけるか考えを巡らせてると、矢継ぎ早の美佐子の質問に大樹は 意識を戻した。

 大樹はまたも溜息を洩らすと、今更ながら思いつきの行動を後悔する。
 本当にそうなら母の質問に答えてやりたいが彼女の事は名前と仕事しか知らない。
 それ以前に付き合ってもいなければたったの一度、それもほんの数時間一緒にいただけ。

 返事に困っている大樹をよそに美佐子は尚も続ける。

「もったいぶらないで教えて?専務さんが小柄でとても可愛い人だって言ってたそうよ」

 情報元はやはり専務か。
 彼は朱音の顔を知っている。恐らく彼女にたどりつくのは簡単なこ とだ。
 本当の事を言うべきなんだろう。しかし嬉しそうな母の顔を見るととても嘘だとは言 いづらい。

「基樹から聞いた時はまさかと思ったのよ。だっていつも噂になるのは軽いお付き合いの方 ばかりでしょ。だから今回も期待してなかったら、自分からお付き合いしてるって言ったって」

「母さん」

 いつになく饒舌な母に 困惑の表情を浮かべながら大樹は言葉を遮ったが、まさか嘘だとは思っていない美佐子 はただ単に大樹の照れ隠しだと思っていた。

「もう、何照れてるの?大樹らしくないわ。私は基樹のように早く結婚しろなんて言わない から。先の事はゆっくりでいいのよ。でもどんな方か知りたいし会いたいわ。だって大樹 の恋人よ、親なら当然でしょ?」

 はしゃぐ母にこれ以上期待させてはいけない。今ならまだ間に合う。
 大樹は意を決して本当のことを言おうとした。

「違う……」

「大樹は子供の頃からいつも家にいなかったから、」

 真実を告げようとする大樹の言葉を今度は美佐子が遮った。

「ううん、居づらったのよね。きっと寂しい思いをさせてたってずっと後悔してる。今だっ てそう、私は基樹の家族と一緒に暮らしてるけど大樹は一人。だから早くあなたにも家族 が出来たらいいなって思ってるの。だからね、その方が大樹のお嫁さんになってくれたら 本当に嬉しいわ」



 大樹は母の口からこの話題が出るのが一番苦手だった。

 若気の至りと言ってしまえばそれまでだが、父と折り合いが悪かったのは事実だが勝手に家 に居づらくしたのは自分自身だし、勝手に家を飛び出したのも自分だ。

 どれだけ母に心配かけたか承知しているが、あの時どうしてもあの家には居たくなかった。

 寂しそうな、それでいて嬉しそうな母の顔を大樹は複雑な気持ちで見ていた。
 仕事や女に別れを告げるならいくらでも冷たく出来るのに、母に対してそんな事は出来ない。
 つい今しがた真実を告げようとした決心は簡単に揺らぐ。
 まさに東吾が言うように話がややこしくなる前に修正するチャンスは今なのだが、こんなウ ソがよくないのは承知の上でもうしばらくこのままでいることは出来ないだろうか?

 ――ごめん。

 大樹は心の中で母となりゆきで恋人に仕立て上げた朱音に謝る。

「そのうちに。まだ始まったばかりだから少しそっとして欲しいな。兄貴にもそう言ってく れると助かる」

 無理に作った笑顔が虚しい。
 それでも美佐子はパッと明るい表情になると大樹に言った。

「そうよねそうよ。いきなり親兄弟が出てきたらびっくりしちゃうわよね。ありがとう大樹、 楽しみにしてるわ」





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