5 フラストレーション -1




 大樹はずっとイライラしていた。
 数日前から、こういう事にはやたら勘のいい東吾がわざと自分を煽っているのはわかって いるが、それよりもっと腹立たしいのはわかっていながらしっかり乗せられている自分だ。

 どうにも処理できない気分を無理矢理押し込めていたのに東吾はいとも簡単に解いてしまった。
 しかもあれ以来、顔を合わせれば指で自分の指をなぞってはやたら朱音の話題を振ってくる。
 このもやもやした気分も誰かを抱いて解消する手段もあるが、すでにそれが不可能なことは実 証済みでフラストレーションは溜る一方だ。

 辛うじて仕事に没頭している間は忘れていられるが、終わってしまえばまた思い出す。
 いっそのこと思い切り体でも動かして発散するという手もあるが、そんな時間が常に取れるわ けでもなければ、根本的な解消にはならないだろう。

「何やってんだ俺」

 自嘲して大樹はデスクに肘をつき組んだ指に額をつけ大きな溜息を洩らす。

 その時、ノックと同時にドアが開いた。
 こんな入り方は東吾しかいない。
 大樹はまた出そうな溜息を飲み込むとゆっくりと頭をあげた。

「あれ?疲れてるね大樹君。恋の悩みならこの東吾様がいつでも聞いてあげるよ」

 ニヤッと片口をあげる東吾に、大樹はおまえが悩みだ!と内心罵るが、東吾の意図は明らかで 反論した所でそれすらもからかわれまた煽られるのだ。

 ただひとつだけ言わせてもらえば東吾は勘違いをしている。
 “朱音の事が気になる”のではなく、朱音の唇に性的な刺激を受けたのは事実だが、“気にし ている”のはあんなに気分が高まっていたのに“出来なかった”ことだ。

 肝心な時に何の反応も示さない体は、東吾の挑発に熱くなるのを感じる。
 もしかしてそっちに目覚めたのか?!
 まさかな。

 そんなことを思いながらまた溜息が出る。
 これ以上イラつかされるのも限界と悟った大樹はチラリ東吾を睨んだ。

「わかったからもう勘弁してくれ」

 大樹の怒った口調に、「機嫌悪いね」と、東吾はにっこり笑いかけた。

「不機嫌の原因はおまえの思い違い」

「思い違い?朱音ちゃんの事?よく言うよ、いつもなら無視するくせに。 いちいち反応するのは気にしてるからじゃないの?」

 それならば言いつけ通りにするまでと、大樹は無視をする事にした。

「で、何の用?」

「ん?ああ」

 そうだった、まずは仕事だ。

 東吾は手にしていた封筒を大樹に見せるとデスクに近づいて行った。

「おやじから預かった書類」

 大樹はそれを受け取ると中を確認もせず、用は済んだだろとさっさと引出しにしまい込む。
 なにか言いたそうな東吾をあえて無視して、デスク脇に積まれた書類を手に取った。

 無視を決め込んだか。

 東吾は大樹を見下ろしながら口をへの字に曲げる。

「で?恋の相談は?」

「しつこい」

 不機嫌を隠そうとしない大樹に東吾は小さく溜息を吐く。

「少しは素直になれよ。そのイライラもなくなるかもよ」

 何が素直だ。ゲイかもしれない自分を素直に認められるか。
 それに、一応ノーマルと自覚している俺がこのまま一生女を抱けないのはさすがに辛いだろ。
 その原因がわからない上、おまえの挑発は余計に俺をイラつかせ混乱させるだけだ。

 大樹は仕事の手を止めると椅子の背もたれに勢いよく背中を押しつけ東吾を見上げた。

「俺を素直にさせないのはおまえのせい。それに俺の悩みは恋じゃない」

「じゃあ何?」

 腕を組んでニヤつきながら見下ろす東吾に、数秒の沈黙を自ら破って観念したように大樹は言う。

「フラストレーション」

「は?」

 答えの意味が理解できない東吾は目を開いて大樹の顔を見た。

「辞書がいるか?悪いがこれから打合せ。」

 そう言うと大樹は勢いよく椅子から立ち上がり、東吾を残しオフィスを出て行った。



――  ◆  ――  ◆  ――




 フラストレーション・・・欲求が何らかの障害によって阻止され満足されない状態にあること。 またその緊張 によって攻撃的になりやすい。欲求不満、要求阻止。


 何がフラストレーションだ。要するにただの欲求不満じゃないか。

 結局その日二度と大樹に会うことがなかった東吾は、いったい何が不満なのか聞き出すことが 出来きず、俺がフラストレーションだ!と叫びたい気分のまま帰宅した。

 珍しく7時過ぎという早い時間に帰宅した東吾は、シャワーを終えると缶ビール片手にリビン グのソファーに腰を下ろしテレビをつけた。

 奥のキッチンでは母の幸恵が忙しそうに食事の支度をしている。

 ぼんやりとテレビを眺めていると幸恵がつまみの小鉢を東吾の前に差し出すと、ガチャっと玄 関が開く音が聞こえてきた。

「帰ってきたみたいね」

 幸恵はそのままキッチンに消えると、すぐに帰宅した父がリビングを覗いた。

「いたのか」

 東吾の顔を見るなり村上が言う。

「俺だってたまには早く帰るさ」

 東吾は顔を合わせず小鉢のつまみを素手で摘まむと口に放り込む。

「ちょうどいい。おまえに聞きたい事があるんだ」

「仕事の話なら俺は知らないぜ。大樹に聞いてくれよ」

 面倒だと東吾が手を振る。

「仕事じゃない、大樹のことだ」

 何で帰ってまでフラストレーションの原因になってる大樹の話を聞かなきゃならないんだよ。

 東吾は内心そう思いながら返事をする。

「大樹がどうかした?」

「ちょっとな。先に着替えて来る」

 村上はそう言うとリビングに入らず自室へ向かった。



 着替えた村上が再びリビングに顔を出すと、テーブルには村上の為の焼酎が置かれていた。

 幸恵がつまみを盛った皿を持って来ると、

「二人で話をするならこっちの方がいいでしょ」

とグラスに焼酎の水割りを作り自分はダイニングへ消えていった。

 東吾は二本目の缶ビールを開けるとグイッと一口飲むと口を開く。

「大樹の話ってなんだよ」

 面倒そうに東吾が尋ねる。

「大樹は会社以外で何か仕事でもしているのか?」

 村上はグラスに手を伸ばすと焼酎を一口飲む。

「なんで?何か問題でも?」

 質問の意図が分からず東吾はチラリと目の前の父を覗き見る。

「大樹が何をしようととやかく言うつもりはないわ。ただ、大樹の車にマンション、いくら 年齢の割に高給取りとはいえ買えるわけがないだろう。かといって家族から与えられた物 を素直に受け取るとも思えん」

 東吾は手にした缶ビールを置くとソファに深く座りなおす。

「予想はついてるんだろ。株だよ株」

「やはりな。短期間で稼ぐならそうだろうとは思ったが」

「たいした腕だぜ、かなり稼だはず。最近はやってないみたいだけど。  あの車とマンションはほんの一部のはず」

「だろうな。いったい何に使う気なんだ」

「さあ?あって困るもんじゃないだろって俺にも教えない。 でも、あの会社に長くいるつもりもないって言ってたから自分で何か始めるんじゃない?」

「起業か。やはりそのつもりか」

「待てよおやじ。俺はそうはっきり聞いたわけじゃないから本当の所はわからないよ」

 東吾は缶ビールを手に取ると、もういいだろという目で父を見た。

 村上はそんな息子を横目に、

「本題はこれからだ」

 と頭をテーブルの上に乗り出し、東吾にもっと顔を近づけろと手招きする。

 なんだよめんどくせぇな。誰もきいちゃいないよ。

 東吾は内心で毒づくが手招きにつられ顔を前に出す。

「何だよ?」

 イラついたように東吾が口を開くと、父はひそひそ声で話し始めた。

「小耳に挟んだんだが……」

 ここまで言ってキョロキョロ辺りを見回す父に、東吾はハァと大きく息を吐く。

「誰も聞いちゃいないから、早く言えよ」

 そうだったな、とバツの悪そうな笑いを浮かべる父に東吾はもう一度早く言えと言い放つ。
 それでももったいぶっているのかなかなか言い出さない父を東吾は睨みつけた。

「だから何を小耳に挟んだんだよ!」

 自分でも驚くほど大きな声を出した東吾に反応するように、そのまま村上の言葉が続いた。

「大樹が結婚するって本当か?」





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