3 なりゆき -1




 朱音がデザートをきれいに平らげると、欲求不満を自覚した大樹は

「帰ろうか」

 と朱音の返事を待たずに椅子から立ちあがる。

 朱音は急いで掛けてあったコートを手に取ると大樹の後に続いた。

 大樹はここに来るまで自分が欲求不満などとは露ほどにも感じていなかった。
 男である以上、そういった欲求に全くかられないわけではない。 もちろんそれなりに体だけの関係の女もいる。

 しかし自慢にはならないが自分では性的には淡白だと思っている。
 と言うより、セックスを覚えたての十代と違い自制ができる年齢になっただけなのだが。
それが何故、今ここで急にそう感じたのだろう?と、大樹は自分が理解できなかった。

 村上と東吾が先に帰ってしまった以上、朱音を無事送り届けるのが使命なのだろうが、自覚 をさせられた本人とこれ以上二人きりでいるのは避けたかった。
 何故か朱音とこのまま二人でいてはいけないような気がした。

 彼女に襲い掛かるほど理性のない人間ではない。
 ただ、欲求不満といっても単に女を抱きたい、という欲求とも違うような気もした。

 幸い?朱音は送るという大樹を断りタクシーで帰ると言う。
 それならば店を一歩出れば客待ちのタクシーが常に数台待機しているので、わざわざ呼んで 貰う必要もない。

 扉のない個室の出入口で二人が並んだ。
 大樹は横に並んだ朱音をあらためて見ると、頭のてっぺんが自分の肩にやっと届く位だろうか?
 そのまま朱音の足元に視線を落とす。

 5センチほどのヒールのブーツを履いてこの高さなら160センチないな。 と、一瞬で計算した。

 さほど高くない身長に膝上丈のニットワンピは、あの食欲を忘れさせるくらい細い体のライン に沿っている。


「今、チビだって思ったでしょ!」

 大樹を睨みつけると、プイと顔を横に向けさっさと個室を出て行ってしまう朱音。

 どうしてわかった?

 大樹は自覚した欲求不満など忘れ、思わず笑い出しそうになった。

 朱音はエントランスまでの真っ直ぐな通路を歩きながら、手にあったコートをさっと広げ羽織る。 と同時に足を止め、くるっと踵を返し今来た通路を引き返した。

 咄嗟に大樹の足も止まり、すれ違いざまむくれ顔の朱音が言った。

「忘れ物」

 あんたが急がせるからね!それに私がチビじゃなくあんたがデカイの!

 心の中で悪態をつき朱音は今出てきた個室へ戻っていく。

 怒ってるオーラを放出している朱音の後姿に、大樹は吹き出しそうになるのを必死でこらえ自分 は先にエントランスへと数歩出た時だった。
 横から自分に向って近づく人の気配を感じ、とっさに笑顔を消し去り歩くスピードを緩め、その 気配のする方向に顔を向けた。

「やはり大樹君」

 顔を向けたと同時に名を呼ばれ、その声の主が誰であるか確認した大樹はわずかに眉を寄せた。

「専務」

 東吾いうところの平安朝顔の鈴木専務だ。
 いくら今最も会いたくない人物であろうと、一応上司である以上まさか無視するわけにもいかず 大樹は足を止めた。

「偶然だねぇ、君も来ていたとは。接待かい?」

 にやにやと笑う専務から少しでも早く逃れようと止めた足を再び前へ動かす。
 それにつられて専務も一緒に並んで歩きだした。

「それもありますが半分はプライベートですね」

 ここはすんなり立ち去るべく、あながち嘘ではない仕事を兼ねた私事を強調した。

「私も今夜は家族サービスなんだよ。ちょうどいい機会だ、少しばかり時間はあるかね?社長から 聞いていると思うが姪っ子を紹介したいんだ。今夜は一緒に来ていてね」

 そう言って立ち止まると大樹達がいたのとは別の個室を指す専務。

 偶然?
 そんな都合のいい偶然があるもんか。
 そういえば兄貴の奴しつこく今日の予定を聞いていたな。面倒だから東吾とここに来ることは言っ たが仕事とは言わなかった。
 あのヤロー嵌めたな!

 大樹は心の中で罵ったが、今はなんとかこの場からうまく逃げることを考えなくてはならない。

 ここは無言の返事、苦笑い。
 その時、忘れ物を取りに行った朱音がマフラーを首に巻きつけながら個室を出るのが大樹 の視界に飛び込んできた。

 咄嗟に何かを思いついた大樹は朱音に顔を向け 「朱音」 と名を呼び踵を返す。


 個室を出た途端、誰かに名前を呼ばれた朱音は顔をあげて前を見ると、大樹が大股でこちらに歩 いてくる。
 その先に目をやると驚いた様子でこっちを見ている男が一人。

 ちょっと、いつ呼び捨てにするのを許可しました?

 もう目の前までやって来た大樹に突っ込んでやると意気込んだその時、 不意に大樹の顔が急接近して耳元で囁かれる。

「笑って。俺に話を合わせて」

 大樹は笑いかけると朱音の手を取り自分の指をからめた。

 突然の出来事にわけもわからずにいると、何故か囁かれた耳元が熱くなり、 引かれて数歩行くと大樹からかすかに漂ういい香に繋いだ手にも熱を帯びる。

 大樹は目を丸くしている専務の前に戻ってくると手を離し、朱音の肩に腕を回すと自分の 前に引き寄せ両肩に手をかけた。

「専務、僕の方こそいい機会なので」

 な、何事!?

 状況が理解できぬまま、力強く引き寄せられた朱音の胸は何故かドキドキして、大樹 を見上げていた。

――話を合わせて

 まるでそう言わんばかりに大樹は朱音に微笑むと話を続ける。

「わざわざ言いふらすこともないので誰にも言ってませんが、僕たちは最近交際を始めたばかり でして」

 は?誰が交際を始めた!?

 びっくりした朱音の鼓動はさらに早まり、目を丸くしてもう一度大樹を見上げると肩に置かれた 手に力が入り、朱音の背中をぴたりと自分の胸に押しつけた。

 ああ、またこの香り。

――話を合わせて!

 無言でも行動で何を言わんとしているのか分かる。
 朱音は驚きを隠せずに目をまん丸にしている目の前の男の顔を見ると、とりあえずニコッと笑う。

 顔、引きつってるかも……

「今ここで姪御さんに会うのは構いませんが、僕としては余計な誤解でこれから二人で過ごす楽し い夜を台無しにしたくないのが本音なんですが」

 肩に置かれた大樹の手に一層力がこもる。
 なんとなく話の流れを理解した朱音は内心不貞腐れながらも、専務と呼ばれる男に笑ったままちょ こんと頭をさげた。

 大樹は口元で笑っているものの、目でしっかりと邪魔をするな、と、専務を威嚇していた。

 専務はハッと我に返ると、
「なんだ、それならそうと早く言ってくれればいいのに」 そう言ってホッとしたような表情をする。

 がっがりするもんだと思っていた大樹は、ホッとする専務に首を傾げる。

「せっかく頂いたお話ですが…」

 大樹がここまで言いかけると、専務が大きく手を振って話に割り込んできた。

「いいんだよ、うちの姪にはもったいないと言ったんだ。だが社長がどうしてもと言うもんでね」

「社長が?」

 聞き返しながら大樹は、いやなら断れと言いながら兄貴の差し金か!と苦笑い。

 専務はそんな大樹の肩をポンと軽く叩くと、

「なんだね、社長があちこち声をかけているのを知らないのか?」

言いながら朱音の顔に視線を向けた。

「こんな可愛い彼女がいるならそれも無駄だな。まあ、私が言うのもなんだが、大樹君は仕事も出来 るしモテる。しっかり捕まえておくんだよ」

 優しく笑いかける専務に朱音はコクンと頷くと、一応返事はしなくちゃだよね。と、はい、と一言だけ返した。

 上から覗きこむような大樹の視線に気付いて、朱音が見上げると自然と目が合い思わずにっこり笑っ てしまった。

 専務には見つめあっているように見えたのか、目のやり場に困った彼は、

「邪魔して悪かったね」

と右手を上げた。

 大樹は視線を専務に向け、朱音の隣に立ちなおすと肩に置いた手をそっと背中に添えた。

「では失礼します」

 あまりに自然に添えられた背中の手に促されるよう、朱音は大樹と一緒に歩き出す。
 ふと気になって頭だけ振り返ると、専務はもう家族の待つ個室へ向かって歩く後姿しか見えない。





感想などいただけると嬉しいです。誤字脱字も コチラから

inserted by FC2 system