26 スイーツを君へ -2




「大樹!もうわかったから離して、ちゃんとご飯に付き合うから!」

 朱音の声など耳に入らないのか、大樹は朱音の手首を強く掴んで駐車所へ続く通路を大股で歩いて行く。 朱音はついて行くのがやっとで小走りになってしまう。

 大樹は駐車場のドアを勢いよく開けると、掴んだ朱音の手首を強く引き寄せ ドア脇のコンクリートの壁に朱音の背中を押しつけた。
 驚いた朱音はすぐ目の前に立ちはだかる大樹を恐る恐る見上げると、さっきとは違って熱い眼差しで 見つめられたいた。

 そんな大樹に、忘れていた、いや、忘れようと努力していたときめきを感じずにはいられない。

「……朱音にキスしたのは失敗だったな」

 不意に大樹が呟く。
 途端、朱音の胸がズキンと痛んだ。

 そうだ、大樹は縁談の彼女を迎えに帰ってきたんだ。
 彼女と愛を育むのに、そりゃ私とキスなんかしたらまずいに決まってる。

 朱音は心の中で自分自身を嘲笑した。
 懲りてないな、バカな私。大樹にときめいたりして、またあんな辛い思いをしたいの?

 朱音は大樹から逃げ出そうとするが、手首は掴まれ、背中には壁、そして目の前には大樹が立ちふさがっていて 逃げようがない。
 大樹の瞳を見ているのが辛くなって俯くと、手首を掴んだ手が緩められた。大樹はそのまま朱音の手を取ると、 その手を自分の唇まで持っていき手の甲に愛おしそうに何度もキスを落とす。

「今度こそ二度と離さない」

 大樹は自分自身に言い聞かせるように呟いた。

 手の甲に感じる大樹の唇の感触は、朱音の奥に刻み込まれた大樹の記憶を呼び起こし、 体は次第に熱を帯びたように熱く感じる。
 そんな自分を、朱音は理性で抑えようと必死になった。
 二度と離さない…それは私に言う言葉じゃないでしょ。


「やめて、大樹」

 大樹は唇を離すと朱音に視線を向けた。

「なぜ?もう俺なんか嫌い?」

 朱音は大樹の目が見ていられなくて、視線をそらしながら左右に大きく首を振った。

「だったら好き?」

 少し間を置いてうん、と頷く。
 視線は大樹から逸らしているが、確かに大樹の視線を痛いくらいに感じている。
 今更そんな事を聞いて大樹はどうしたいの?


 目をそらす朱音に、大樹は胸が詰まるような思いがした。
 自分から手を離したくせに…虫がよすぎるとわかっている。それでも、それでも…

 大樹は大きく息を吸い込むと、意を決したように朱音に問う。

「――今でも俺を愛してる?」

 朱音は瞳を大きく見開き大樹に顔を向けた。
 口を開いて何か言おうとするが、言葉に詰まって声が出ない。
 答えられない朱音に、大樹の表情は次第に悲しげに変わっていく。
 大樹の吐く長い溜息が震えているようだ。

 何か言わなければ。
 朱音は必死の思いで声を絞りだす。そしてやっと出た言葉。

「…だっ…だって、大樹には縁談の彼女……」


 大樹はハッとした後、悲しそうな表情から一転、にっこりと笑うと力強く朱音を引き寄せ抱きしめた。
 突然の出来事にびっくりする朱音。

「ごめん、朱音。ちゃんと言わない俺が悪かった」

 大樹はそう言いながらさらに朱音を強く抱きしめた。

「縁談なんかどうでもいい。そもそもずっと前に断られてる。どうしてもその彼女と俺を くっつけたい兄貴のお節介なんだ。俺は日本に戻る口実にその話に乗っただけ」

「じゃあいないの?縁談の彼女なんていないの?」

 腕の中から見上げてくる朱音に大樹がフッと笑った。

「いや、いるんだなこれが。それにその彼女が俺の好みなのは事実。俺のハートのど真ん中、 直球ストレートでずしりと来た」

 な、なに?!いるって言ったり、断られたって言ったり、大樹の言ってること全然わかんない!!

 朱音は大樹の胸から離れようと、両手で思い切り胸を突くが、大樹の腕の力の方が強くて結局動 きが取れない。

「怒るな。とっくにふられてるんだから」

 あ〜〜〜っ、もうほんとにわっかんないって!!

 腕の中から逃げ出そうともがく朱音など気にもせず、大樹は朱音の顔を覗きこんだ。

「断られた理由、知りたいだろ」

「別に!聞きたくないし、知りたくもない!」

 大樹は睨みつける朱音の両手首を掴んだ。

「いいから聞けって。もうずっと前に兄貴がお節介で弟の嫁さんにならないかって聞いたそうだ。 その彼女は、自分勝手で強引ですぐにダメって言う意地悪な彼氏がいるからって断った。 でも兄貴は相当彼女がお気に入りで、その意地悪な彼氏と別れたって聞いて俺に話を持って来たんだ。 俺としては好みのタイプだし、どうしても自分だけのものにしたくて兄貴の話に乗った」

「・・・・・・?」

「それなのに兄貴のヤツなんて言ったと思う?そんなに欲しけりゃ自分で何とかしろだって。 だったら縁談なんか持って来るなって思わないか?」

 思わないかって聞かれても、朱音には返事のしようがない。
 そんな事を思いながら大樹を睨んでいた朱音だったが、記憶のどこかでなんだか…

「…その話、私知ってる」

 どこで聞いたんだろう?
 朱音は必死で思い出そうとするが、どうにも思い出せない。
 なかなか思い出さない朱音に大樹は心の中で、本当に鈍い!と叫んでいた。

「これ二年前の話。朱音はまだ俺が社長の弟だって知らなくて、社長本人に世話好きのヒマ人って言わなかった?」

「あ!それ私」

「当たり。つまり縁談の彼女って朱音」

「は?私?」

「そう、俺は朱音を迎えに来た。あ、まだ口説き落としてないけど」

 目を細める大樹に、朱音は体の力が抜けて膝から落ちそうになる。 すぐに大樹の腕が朱音の背中を支え、朱音は力なく大樹の胸に体を預けた。
 大樹の鼓動が伝わって朱音は懐かしい安心感を覚える。

「紛らわしい言い方しないで」

「大まかでって言ったのは朱音」

「じゃあなんて言えばよかったの?」

「一言でって言えば、俺は朱音を迎えに来たって言ったよ」

 ああ言えばこう言う。やっぱり大樹だ。

 朱音がクスクス笑いだすと、大樹は朱音の体を自分から離し困ったような顔で見下ろしている。

「あ〜、やっぱり朱音にキスしたのは失敗。我慢の限界だ」

 何を言ってるの?と小首を傾げる朱音の肩に、大樹は自分の額を乗せた。 行き場なく上げた両手の握り拳がわずかに震えている。

「だ、大樹?」

 大樹はなにかをぐっと堪えるように体に力が入っているようだ。
 フッとその力が抜けたかと思うと大樹は大きく息を吸い込む。

「ダメだ、我慢できない」

 大樹は朱音を壁に押しやると、朱音の後頭部に手を添え強く唇を押し付けた。
 いきなりのキスに初めは驚いた朱音も、大樹の感触にすぐに体が反応し大樹の首に腕を回すとキスを 返していた。

 もう二度と大樹に触れる事など無いと思っていたのに…
 熱い思いが胸にこみ上げる。
 この二年間、忘れる事など出来なかった。  忘れないようにと体中に刻み込んだ大樹が、忘れさせてくれなかった。
 それでも自分からやめると決めた以上、その気持ちを封印していた。厳重に鍵もかけた。
 それなのに、大樹に会った途端、簡単に鍵は開いてしまった。
 大樹に触れた途端、封印は解けてしまった。

 二人はまるで二年分を取り戻すかのように口づけを交わした。
 熱く、甘く、とろけるようなキスを。

「朱音、愛してる。ずっと愛してた。朱音をもう離したくない。離れていたくない」

 大樹の優しい眼差しが潤んだ瞳の朱音に向けられる。
 朱音は目を細め微笑むと、大樹の指に自分の指をからめた。

「だったらもう絶対に離さないで。私も絶対に離れない、大樹を愛してるから」

 大樹はからめた指にギュッと力を入れた。

「約束する。もう二度とこの手を離さないって。――離してしまうことがどれだけ辛いか知ってるから」

 ふたり見つめ合うと、どちらからともなくクスッと笑いが漏れる。
 すると突然大樹は朱音の手を取り、止めてある車の方に歩きだす。

「行先変更、家に帰る」

 大樹の手に引かれる朱音は、ええ〜!っと意にそぐわないようだ。

「だってご飯は?お土産のケーキは?」

「そんなのまた今度。俺は早く朱音と愛し合いたいんだ。だから家に直行」

「ええ〜っ、やだよ〜っ、ケーキ!」

「そんなの今日くらい我慢しろ。俺は二年も我慢したんだ。いいか、二年だぞ二年。 どれだけたまってると思ってる」

「そ、そんなの知らないよ!私のせいじゃないもん。だいたい大樹はプレイボーイなんだから、 どうせブロンド美人をとっかえひっかえしてたんじゃないの?浮気禁止の制約もなかったしね! それとも赤毛の現地妻?!」

 やっぱり出たか、得意の○○美人に○○妻。

 大樹はぴたっと足を止めると、クルッと朱音に振り返った。

「いいか朱音、言っておくが間違いなく朱音のせい。それに俺はこの二年間 ずっと清い生活を送ってた。よ〜く聞けよ、俺には何とか美人も何とか妻もいない。 忘れた?俺は朱音以外には反応しないって。もう愛のあるセックスしか出来ないんだ」

 勢いよくしゃべる大樹に、朱音は思わず首をすぼめる。

「た、試したの?」

 はぁ?!どうして朱音はそれを聞くかな?問題のポイントがずれてる!
 それにしてもなんだか……進歩してないな、俺達。

「試してないけどどんな美人を見ても欲情しなかった。いいか、33歳男盛り、 普通ならセクシーな女に迫られたら欲情するだろ。俺は全然その気にならなかった」

「だ、大樹、迫られたの?!」

 あーっ、めんどくさい!どうして朱音はこうも視点がずれる?!
 二年ぶりに会ってどうしてまたこんな押し問答してるんだよ、俺達!

「ほかの女に寄って来て欲しくないならさっさと俺の嫁さんになるんだな」

 ワンフレーズ置いて朱音が口を開く。

「ええっ、それはやだ」

「やだ?なんだよそれ、朱音は俺と結婚したくないってこと?」

「違うって、まだってこと。――だって、大樹とは恋人から始めたいから…ダメ?」

 お願いするように上目使いで見る朱音に、大樹はダメとは言えなくなる。
 出来る事ならこのまますぐにでも結婚してしまいたい大樹だが、朱音の言う通り、二人は恋人同士から 始める必要があるのかもしれない。

「あ〜、わかったからそんな目で見るな。いいか、その代り俺も長くは待てない。 一年経ったらまたアメリカに戻る。今でさえ行ったり来たりで月の半分しかいないのに、 向こうに帰ったら日本に来るのは数か月に一度だ。いいか、それまでに俺の嫁さんにならなかったら容赦なく 置いて行く。いいな、よ〜く覚えておけ」

「え〜?!そうなの?それは困るなぁ…」

 大樹は情けない顔をしている朱音を見ると片方の唇をあげた。

「そうだ、週末に引越しだから」

「何?もしかして大樹ってホテル住まい?」

「なにを言ってる。自分の家があるのになぜホテル?朱音の引越しだよ、あ・か・ねの。もちろん俺んちに」

「え〜っ、また引越し〜?!もうやだよぉ、めんどくさい〜」

 ぷいと顔をそむける朱音に、大樹はわざと鋭い眼差しを向けた。

「面倒?俺は何でも思い通りにしないと気が済まないんだ。いったい俺を誰だと思ってる?」

 低い威圧的な声に、朱音はギュッと目を閉じた。

「ご、強引で、じ、自分勝手で、意地悪な東条大樹さん」

 その答えに満足した大樹はにこっとすると、朱音の顎を持ち上げ上を向かせた。

「正解。もうわかってるだろうけど朱音自身は今日から俺んち。そうそう、 もうベッドは持ってくるなよ。ふたつも入れたら広い朱音の部屋もさすがに狭くなる」

「ふたつって…?」

「二階の朱音の部屋、そのままにしてある。と言うより、 かたさないまま俺が向こうに行っただけなんだけど。留守の間も管理会社のハウスキーパー入れてたから いつでも使えるようになってる。モドキもちゃんといるぞ」

「うっそ…本当にそのままなの?モドキも?」

「本当。朱音の部屋も、俺の部屋もキッチンもリビングもそのまま。ただ、 朱音がいないから生活感の欠片もないけどな」

「そっか、前のままなんだ」

 朱音は二年前の楽しかった大樹との生活を思い出したのか、瞳は遠くを見つめかすかな笑みを浮かべている。

「でも…」

「ん?」

 朱音は視線を大樹の顔に向けるとマジマジと眺めた。

「なんかロン毛の大樹って違う人みたい。なんとなく浮気してるような気分なんだけど」

「浮気って…俺は気に入ってる」

「その髪でスーツ姿ってまるでホスト」

「ホスト?!アハハ、そりゃいい。じゃあ早く帰って早速朱音にサービスしなきゃ。 あ、いや、やっぱりメシ食いに行こう。出勤前の同伴だ同伴」

「バッカじゃない?なに一人でホストごっこしてるの?」

 呆れた顔で大樹を見れば、ひとり楽しそうに笑っている。

「あいにく恋人ごっこにはもう懲りたからな。いいじゃないかホストごっこ。 そうと決まれば朱音、メシの前に買い物行くぞ。早く車に乗って」

「私は決めてないって!それに買い物って何買うのよ」

大樹は朱音の姿を上から眺め下ろし、ニヤッとする。

「朱音の服。ホスト遊びするのにその格好はないだろ?それに、 いきなりデートに誘うならもう少し気を使えって言ってなかった?ほら、俺はスーツ、朱音はジーンズ」

「い、いいよ!気なんか使わなくていから!このままでいい!!」

「却下。つべこべ言うな。当然服は俺が選ぶ。朱音は黙って付いてくればいい」

 そう言うと大樹は朱音の手首を掴かみ、引っ張るようにして歩きだした。

「もう、ほんとに強引!嫌だからね、大樹の選んだフリフリなんか絶対に着ないんだから!」

 手首を引かれながらも朱音は抵抗をしてみるが、当然、大樹に敵うはずなど無い。

「それは良かった。今日はフリフリじゃなくて少しセクシー系にするつもり。そうだ、メイクは少し派手目にしろよ」

「!!――セクシー系に派手メイクって…それじゃホストとキャバ嬢だよ!!」

「朱音のキャバ嬢?んー、それもいいな。よし、キャバ嬢に貢ぐホスト。面白そうだな。 もちろんアフターも一緒だぞ」

「だ・か・ら!バッカじゃないの?!」





 相変わらず意味のない会話を続けながら、強引に朱音を車まで引いて来ると、急に大樹は真顔で振り返った。

「朱音」

 そんな大樹の真顔に朱音はドキリとした。

「な、なに?」

「やっぱり朱音は面白い」

「それって誉めてるの?」

「いや、惚れてるの」

 朱音はプッと吹き出すと、大樹に一歩近づいた。

「ねえ、貢いでくれるんでしょ?だったらケーキを買ってね。もちろん丸ごとだよ。 そうしたら喜んでアフターでも何でも付き合うから」

 大樹は朱音に優しく微笑むと、助手席のドアを開けて手でどうぞしながら答えた。

「ケーキだけでいいの?なんなら店ごと買ってあげる」

 朱音はクスっと笑うと、腰に回された大樹の手に促されるように助手席に乗り込んだ。


THE END







あとがき
「スイーツを君へ」最後までお付き合いいただきありがとうございます。
恥ずかしながら初公開作品で、あらためて最初から読み直すとよくもまあこんな文章で人様の目に晒したなと赤面の 思いです。それでもたくさんの方の目にとまった事は嬉しく思っています。
途中、サイトの引越しですったもんだした分、この作品に対する思い入れはかなり深いです(^_^;)
こんな感じで終わらせましたが、ここでは書けなかった大樹が日本に帰って来る経緯については番外編にて。
ちなみにこの話、ラストを二通り考えていました。もうひとつの方は…朱音が妊娠するってお約束のような展開。 秘密なはずが凜子にバレて、東吾と話し合った結果、東吾の子って事で産むんですね〜。それを知ってしまった 大樹は…なんですが、途中ちょっとドロドロした感じになるので迷わず却下。やっぱりスイーツを〜は楽しくなきゃですもんね。
ついでに申しますと、ここに登場するキャラ達はとっても好きなので、まだまだ引退して欲しくなくて続編をと思ってる ものの、大樹のアメリカでの仕事が絡んできたり新キャラたちの登場で、頭こんがらがって途中で投げてます(*_*)
再開する気になったらですが…気が向いたらまたお付き合いください。って、いつになるかなぁ?
長々と書きましたが、読んでいただいた皆様、コメントをいただいた皆様、本当にありがとうございました。  Reonれおん





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