23 さよなら -3




「私の欲しいものは……愛」

「?」

「愛が欲しい、大樹の愛が」

「………!」

「愛してるって…言って欲しい。それ以外は何もいらない」

「……朱音」

 大樹は返事に困ってしまう。
 愛が欲しいと言われても大樹自身、愛がどんなものかわからない。

「今すぐ大樹の愛が欲しい」

「……朱音、困らせないで」

 困らせないで…最後のチャンスの答えがこれ?あまりにも虚し過ぎて、朱音は笑いたくもないのにフッと笑って しまった。

「何が困るの?持ってないからあげられない?」

「朱音……」

「私は大樹に愛してるって言って欲しい。それだけなのに…… そうじゃないなら、私を愛してないって言えばいいだけだよ?」

「・・・・・・・」

「愛してないから…愛が欲しいって言われても困るって…。私に対して愛なんて感じてないからあげられないって… 言ってよ!」

 大樹は何も答えられない。いや、言葉が出てこない。
 愛?朱音はいったい何の話をしている?
 いったい何が起こっているのか大樹には突然すぎて理解できない。
 だからいきなり愛と言われても答えられない。

「大樹……?」

 朱音の声が震えている。

「大樹……私のこと好き?」

「……好き…だよ」

「じゃあ愛してる?」

「愛……ごめん朱音、わからない。だから答えられない。でも好きな気持ちに変わりはないんだ」

 わからない?わからない…自分の気持ちなのに大樹はわからないの?

「違うよ大樹。わからないから答えられないんじゃなくて、愛してないから答えられないんだよ。 ねえ、大樹の好きって何?嫌いじゃないから好き?好きだから特別って…私にはわからない。 私は、私は大樹のことがたまらないほど好きで、好きで好きで、心から愛してる。 でも大樹は愛してくれないでしょ。だから、だから……」

「待って朱音!」

 大樹は朱音の言葉を遮った。

 突然こんなことになって大樹は混乱していた。
 確かに恋や愛と言う感情はわからないが、朱音が好きな気持ちになんら嘘はない。

「落ち着いて朱音。どうした急に」

「急じゃないよ、ずっと考えてた」

「ずっと?」

「うん…。大樹、愛してないってはっきり言ってくれる?そうでないと終わらないの… 私の片想を終わらせられない。そして……恋人ごっこはもうお終い」

 もうお終いって何だよそれ。何が言いたいんだ朱音は。まさか別れようとしている?

「何バカなこと言ってる。ごっこじゃない、俺達は恋人同士だ。この間そうしただろ。もう忘れた?」

 いったいどうしたっていうんだ。愛してない?言えるかそんな言葉。
 愛しているかどうかはわからないが、愛してないなんて言葉は絶対に言えない。いや、言っちゃいけない 気がしてる。

「恋人?恋もしてないのに?」

「恋って…」

「ねえ大樹、続けるか止めるか私が選んでいいんだよね。大樹はそれに従うんだよね」

 ああ、ダメだ。今の俺は何も考えつかない。
 朱音は朱音で何を言っても聞きそうにない。どうして……どうして肝心な時に俺の頭は何も考えられない!

「――朱音、こんな話電話でする事じゃない」

「大樹の顔見たら言えなくなる……」

 朱音は泣いているのだろうか、かすかに声が震えている。

 また泣かせてるのか俺は…
 とにかくこの話を帰国するまで何とか保留にさせなければ。電話なんかで済ませるほど簡単な事じゃない。

「朱音……お願いだから俺の話を聞いて」

「・・・・・・」

「朱音?」

「――大樹、誰よりも一番愛してる。心から大樹だけを愛してる。愛してる愛してる……」

「……朱音……」

「――やっぱりクリスマスの約束なんかしなきゃよかった……愛されてないなんて辛いよ…大樹ぃ… だからもう今日でお終い。さようなら、大樹」

「朱音!」

 一方的に切られた電話。
 虚しいかな最後に呼んだ名前は朱音に届いていない。
 途切れた通話に大樹は携帯電話をただ眺めていた。

 いったい何が起こったのだろう。確かに朱音はもうお終りにしようと言った。そしてさようならと。
 ちょっと待ってくれ!

 大樹は髪をくしゃくしゃとかきむしる。
 待ってくれよ朱音、すぐにでも飛んで行きたいが、 こんなに離れていたらそれも出来ないじゃないか。
 電話で一方的すぎる。俺に話す機会すら与えないのか。

 ほんの数日前まで俺の腕の中で幸せそうに笑っていたじゃないか。
 絶対に離さないから、絶対に離れるなと約束したじゃないか。
 結婚しようと言ったら嬉しそうにしてたじゃないか。
 愛はわからなくても、俺がこの世で一番好きなのは誰でもない朱音なんだ。
 これだけではダメなのか?どうしても愛でなければダメなのか?



 大樹は気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をする。
 ベッドから抜け出るとパウダールームに向かい頭に冷たい水をかぶる。
 顔をあげると目の前の鏡に映る自分を睨みつけた。 濡れた髪から水が滴り、洗面台にのせた手に落ちて行く。

 鏡に映る自分を睨む姿に大樹は徐々に冷静になって行くと、朱音の言葉が ふとよみがえる。
 『嫌いじゃないから好き?』
 『愛してないから答えられないんだよ』
 わからないからではなく愛してないから?
 愛してないから愛がわからない?
 嫌いじゃないから好きだと思い込んでいた?それが答えなのか?

 なるほど、それが答えか…。
 そう思うとなんだか可笑しくなってきた。
 いままで自分がしてきたことをされただけじゃないか。 あれほど離したくないと思っていたのに、いざこうなれば案外なんてことはない。心も痛まない。

 いや、まだ現実として受け入れてないのか……?







 朱音は一方的に通話を切るとその場に呆然と座り込んでしまう。
 手は震え、声を出そうにも苦しくて出てこない。

 とうとう言ってしまった別れの言葉。
 たった一言、嘘でも愛してると言ってくれればそれでもいいと思っていた。 信じようと思った。だって、愛じゃないと言うにはあまりにも大樹と一緒にいる事が心地良過ぎた…。 大樹だって同じだと思っていたのに、それなのに大樹は言ってはくれない。

 胸が張り裂けそうだった。
 声が震えて苦しかった。
 それなのに涙が出てこない。
 散々泣いて、涙が枯れてしまったのだろうか?
 こんなに哀しくて辛いのに涙が出なくて、もっと辛く感じる。 きっと涙は悲しみや辛さを流してくれるのだろうに。

 朱音は震える手を見つめた。何故か体中に力が入って抜くことが出来ない。

 大樹、愛してなくても一緒にいればいつでも抱きしめてくれた?

 今更考えても仕方ないのについ考えてしまう自分を否定するように、朱音は首を大きく振る。
 よろよろと立ちあがると、やっとの思いで二階の自分の部屋に入って ベッドに倒れ込むと天井を見つめた。
 大きく息を吸い込むと胸が楽になるような気がして、何度も大きく息を吐き、また大きく息を吸い込む。

 徐々に体の震えが止まって来ると朱音はゆっくり瞼を閉じた。
 眠れそうにはないが、何も見えていない方が気持ちが落ち着く。  暫くするとうとうとし始めるがすぐに目が覚め、そしてまたうとうとを繰り返すうちに夜は明けて行く。






 朱音が眠りについたのはもう夜明けで、突然鳴り出した目覚ましの音に驚いて上半身を起こした。

 寝不足か、少し頭が重い。
 朱音は頭をぶるぶる振るとベッドから起き出した。

 ほんの数時間前まであんなに哀しかった気持ちが今はだいぶ落ち着いている。
 朱音はパウダールームに向かい鏡を覗きこむ。

 ひどい顔。

 目の下にはクマができ、気のせいかたった一晩で頬がこけているように見え、顔色も最悪。
 朱音は冷たい水で顔を洗い、パンパンと頬を叩く。

 さあ、終わった事にくよくよしない。仕事仕事!

 自分に気合いをいれ身支度を整えると、 朱音はバッグと大きなボストンバッグを抱え部屋の中を見回わした。

 忘れ物はない?

 下の階に下りると大樹に貰ったスペアキーと、ここに越して来た時に渡されたクレジットカード をダイニングテーブルのうえに置いた。 玄関のドアがオートロックでよかったと思う。鍵を返すのに大樹に会わなくて済むから。
 ふとソファにちょこんと置かれたモドキが目に入る。 自然とソファに近づきモドキを手にして暫く眺めていた。

「もうモドキも必要ないね」

 朱音は呟くとモドキをソファに戻し、ボストンバッグを抱え部屋を出て行った。





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