2 色気より食い気 -3




「送ろうか?」

 席を立とうとする大樹を東吾が制止した。

「まだ途中だろ。タクシー拾うから」

 東吾が素早くジャケットに腕を通すと、村上も立ちあがった。

「じゃあ私も一緒に帰るとしようか。話も終わったし後はデザートだけだ。腹も一杯、 それに明日はゴルフで早いからな」

 さっさと帰ろうとする村上親子に慌てたのは朱音。
 ちょっと待ってよ、帰るって私はどうなるわけ?!

「じゃあ私も帰ります……!」

 朱音は慌てて立ち上がると村上に肩を叩かれた。

「そう慌てずゆっくりしていきなさい。最後までいたいが東吾が帰るついでだ。大樹、後は頼んだぞ」

 そう言い残し村上親子が部屋出て行こうとしている。

 どうしてこの人と二人きりで残すのよ!!
 朱音はさっさと帰る村上親子の背中を呆然と眺めた。


 見えなくなると、もうやけくそな気分でストンと椅子に腰を落とし、ひとかけらだけ残っていたほほ肉にフォークを 勢いよく刺すと大きな口を開けて放り込んだ。

 わざわざ見なくても視界に入る斜め前の男が、下を向いて笑いをこらえているのは気のせいだと自分に言い聞かせ、朱 音はグラスの水を一気に飲み干しちょうど部屋に入って来たウェイターに水のおかわりを頼んだ。

「気持ちいいくらいによく食べるね。そんなにお腹空いてた?」

 大樹は両肘をテーブルにつき指を組むと、顔だけ朱音に向け片口をあげて笑っている。

「はい、めちゃめちゃ空いてました」

 すでに開き直って、こうなったらデザートを食べなければ帰れないくらいに思っていた朱音は、 ウェイターが注いだ水を飲みながらちらり大樹を見ると、また下を向いて笑いをこらえている。

 何がそんなに可笑しいのよ。

 朱音はフンと顔をそむけると、水を注いだウェイターがテーブルの皿をかたし始めた。

 つかさず黒服がやってきて二人に食後の飲み物を聞いて来る。
 朱音が紅茶を頼むと黒服が次に大樹に顔を向けた。

「コーヒーを。それから、コースのデザートはいらないから彼女に何かお勧めをお願いできるかな?」

 人のデザートを勝手に変更しないでよ!

 心の中で叫んで大樹を睨む。しかし睨まれた当の本人は全く気にしていない。

「フルーツタルトはいかかでしょう?女性にはとても人気がございます」

 フルーツタルト。

 この言葉に朱音は大樹を睨むの忘れ、気付けば 「それがいいです!」 と、自分から言っていた。

 またやっちゃった!

 朱音は自分の顔が恥ずかしさのあまり赤くなっていくのがわかった。
 恐る恐る大樹に目を向けると、案の定、唇の端だけあげて笑ってる。

「じゃあそれを」

 黒服にそれだけ言うと朱音に向って「僕のおごり」と言った。

 黒服が部屋を後にすると大樹が椅子から腰を上げた。
 どこに行くのだろうと思うとすぐに朱音の前の席に座りなおし、また両肘をついて指を組んだ。

「二人しかいないのに斜めに座ってたら変だと思わない?話もしづらい」

 いえいえ、あなたと話すことはないです。

 朱音は内心そう思いながら大樹をじっと見ると 「のはらあかねってどんな字?」 と、大樹が尋ねてきた。

 わざわざ席を代わってまでする話?

「原っぱの野原に朱色の音で野原朱音」

 素っ気なく答える朱音に大樹はまた唇の端をあげた。

「朱色の音か」

「朱色の音って何?って思いません?自分の名前なのにさっぱりわからない」

 言ってから朱音は後悔した。つい余計な事を言ってしまった。ああ、また唇の端で笑われる。

 しかし大樹は朱音の期待(?)を見事に裏切り少し考える素振りをしている。

「夕焼けの音」

 真顔で答える大樹に朱音は思わず吹き出した。

「夕焼けの音ってどんな音ですか?もっとわからない」

 クスクス笑う朱音に大樹もフッと笑いが洩れる。

「睨んだり笑ったり忙しいね。で、なんでも屋ってなに?」

 朱音は笑うのをぴたりと止めると大樹の顔を見る。
 大樹から笑顔は消えて、先ほど村上や東吾と話をしていた時のような真面目な顔つきになっている。
 そんな大樹を前に朱音は緊張気味に答えた。

「言葉通りなんでも屋。事務に雑用、ヴィラではフロントから厨房の皿洗いにハウスキーパーまで何でもやるって事 です」

「なるほど、それでなんでも屋」

「と言っても、事務は会計士さんに言われたまま伝票をあげてるだけですけど」

「ヴィラにはよく行くの?」

「人手が足りない時は」

「そう」



 そんな話をしていると間もなくコーヒーとフルーツタルトがテーブルに置かれた。

 てっきり朱音はタルトが一切れ小さな皿に乗せられて来るのかと思っていたが、大きな皿にタルトとアイスクリーム、洋 梨のコンポートが綺麗に盛り付けられている。
 朱音は思わず笑顔になってしまう。見た目にも美味しそう。

 目の前の男のことはその瞬間すっかり頭から消えていた。
 仮に存在を認識していたとしてもスイーツの前ではどうでもいい。
 気どったところでもう遅い。望もうが望むまいがこれから嫌でもかかわらざるを得ない人物なのだ。
 化けの皮がはがされる前に自分からさらけだしてしまえばいいのだ。

 腹をくくった朱音は、 「いただきます!」と タルトを一口頬張る。
 美味しい!思わず笑みがこぼれた。



 面白い子だ。

 大樹は幸せそうな顔で食べる朱音を見ていた。
 考えてみればこうやって食事をともにした女性はいるが、残さず食べきった者がいただろうか?

 ダイエット中、体のラインが崩れる、理由は様々だが半分も食べていなかったような気がする。
 甘いデザートなら特にだ。

 決して自分はケチではないが、食べないのなら注文しなければいいのにといつも思っていた。
 もっともモデルやコンパニオンといった体と顔が資本の女性達だからだろうか?
 仕事上そういうたぐいの女性と縁がある大樹は、時にそのままあとくされのない夜の相手となる場合もある。

 目の前のこの女は?

 肩が隠れるくらいの長さの、途中からふわりとウェーブがかった髪、大きすぎない二重のアーモンド型の目にくりっとし た大きな黒い瞳。こじんまりした鼻筋で美人と言うより、可愛いという言葉が合いそうだが、ふっくらとやや厚みのある 唇はとてもセクシーだ。

 美貌と色気で男を惑わす女。

 そんな言葉とは全く縁がなさそうだな。
 俺が相手にしてきた女とは全く違うタイプだ。
 でもこの唇だけは違う、なんて魅惑的なんだろう。思わず触れてしまいたくなるような……

「私の顔に何かついてます?」

 朱音の声に大樹はハッと我に返る。

「いや、なにも」

 俺は欲求不満か?いや、そんなはずはない。と大樹は今しがた思っていた事を払拭する。

「あんまり見られると食べづらいんですけど」

「それだけ美味しそうに食べてるのを見てると気分いいから。かな?」

「美味しそうに食べるのは私だけじゃないと思いますけど」

「そう?残念ながら僕はそんな女性と食事をしたことがない。ダイエット中とか、太るからとか」

「ダイエット中?!」

 朱音は少し驚いたように目を丸くした。

「信じられない。ダイエット中なら食べに行かなきゃいいのに。私ならそうするし行ったら絶対に食べちゃう」

「だろうね」

 思わず笑ってしまった大樹に、朱音は唇を尖らせ頬を膨らます。

「どうせ私は色気より食い気です!」

 軽く大樹を睨みつけ朱音はさらにアカンベーと舌を出した。

 じっと一連の朱音の唇の動きを見て、背筋にゾクリとしたものを感じた大樹は確信した。

 やっぱり欲求不満だ、と。





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