19 オプション無効 -1




 男同士、女同志をそれぞれ過ごした翌日。

「もしかしてわざわざ迎に来てくれたの?」

「昨日会社に車置いて出かけたから、取りに来たついで」

「ふ〜ん、どうせ私はついでの女です」

「はいはい、朱音を迎えに行くのに車を取りに来ました。これならいい?」

「合格」

 助手席で拗ねたり笑ったりする朱音を、大樹は一刻も早く家に帰って思う存分味わいたかった。

 昨夜、凜子の家に泊まると連絡があったきり、とっくに昼を過ぎた時間になっても連絡をよこさない 朱音に痺れをきらし、自分から凜子の家まで迎えに行ったのだ。

 凜子が余計なことをするから朱音との週末を一日損した。
 自分も東吾と散々遊んでいたことなど棚に上げ、凜子が朱音を泊めたことを責めたくなる。

「でも大樹が来てくれて助かった。だって凜子さん今日も泊っていけって勢いだったの。私は早く帰りたかったのに」

「俺に会いたいから?」

「えへへ、まあね」

 照れ隠しのようにちゃらけて笑う朱音は可愛らしい。 運転中でなければ間違いなくキスのひとつもしてしまうだろう。

「だって大樹毎日遅いから。朝は慌ただしいし、夜は寝顔しか見てないような気がする」

「夜中に?」

「何となく大樹の気配感じて目が覚めるの。またすぐ寝ちゃうけどね」

「なんだ、せっかく起きたなら襲ってくれてかまわないのに。俺のオプションはいつでもオッケーだよ」

「あのね、大樹にオプションなんか付いてないでしょ。 仮に付いててもつ・か・い・ま・せ・ん。大樹じゃあるまいし」

 俺じゃあるまいしって、まあ、確かに寝てる朱音を何度も襲ってるか。

「あ、オプションて言えばさ、変だと思う」

「何が」

「あれって私の意思で使うかどうか決められるんだよね?じゃあなんで私の意思とは裏腹に大樹に襲われてるの かな?」

 久々に朱音の口から出た『変だと思う』発言。
 と言うより、今頃それに気付いたのかと大樹は腹の中で笑ってしまう。

「そんなオプションとっくに無効だろ」

「えっ、そうなの?なんで?だって期限つけなかったよね?」

「肝心な事忘れてない?そのオプションは何に付けた」

「え…って、恋人ごっこ?」

「そう。朱音はまだごっこのつもり?」

「えっ!?じゃ、じゃあさ、大樹の誓いも無効?浮気禁止の誓い」

 ちらりと朱音を見れば、体を大樹に向けて真剣な顔で答えを待っている。

「オプションが無効なら浮気厳禁も無効だな」

「ええ〜っ、そうなの?!」

 多分、今朱音は物凄く驚いた顔をしているに違いない。その顔をじっくり眺めたい大樹だがハンドルを握っている 以上そうはいかないのがとても残念。

「でも確かあの時、俺は朱音が譲歩するなら浮気はしないって言ったはず」

「だからオプションでしょ?」

「いや、俺は何を譲歩とは言わなかった。どうする?朱音は何を譲歩する?」

「????」

「聞いてる?」

「あ、あのさ、それ紙に書いてくれない?大樹の言ってる意味がさっぱりわかんない。私大樹みたいに一字一句 洩らさず頭の中でカチャカチャ分析出来ないんだけど……」

 そんな朱音が可笑しくて笑いたいのを必死で堪える大樹。

「わからない?じゃあ簡単に言おうか。オプションで譲歩って言い出したのは朱音で、俺はオプションなんて一言も 言ってないって事。だからもし朱音が浮気禁止を継続したいなら今度は何を譲歩するか聞いてるんだ」

「バ、バッカじゃない!?また譲歩って…信じらんない!」

 どんな顔をしているのか想像は付くが、どうしても見たい大樹はタイミングを見計らい視線を向ければ、  毎度ながら真っ赤な顔で怒る朱音。大樹のはこんな朱音とのやり取りが面白くて仕方ない。

「あ、いいの?浮気するかもよ」

 大樹には次の朱音の行動が手に取るようにわかる。
 案の定、朱音はバッグに手を入れ取り出したのはチョコレート。当然口にするだろうと思ったが朱音が思い出したように 呟いた。

「甘いもの禁止だった……」

 なんだかんだと言いつけを守っている朱音はいじらしい。それにしても禁止なのにバッグにチョコが入っている あたりが、禁煙中でもライターを持参している東吾を思い出させる。時折発見する二人の共通点に大樹は そんなタイプを構いたくなる自分に笑えた。

「いいよ食べて。それでよく考えて、譲歩か浮気か」

 大樹のお許しが出ると朱音はすぐに包み紙を剥がしては口に入れを何度も繰り返している。

「ん?ね、ねえ大樹、そもそも譲歩するかしないかってエッチするかしないかって話からだよね? ってことはエッチしてれば浮気しないって事じゃないの?」

「おっと、そこに気付いたか。残念」

 と言いつつちっとも残念そうじゃない大樹に、朱音は嫌〜な予感。

「まあいいや、朱音今自分で言ったよな、エッチしてれば浮気しない って。つまり浮気されたくなかったら朱音は俺の好きな時に抱かれるって事だな」

 ほら、屁理屈野郎の能書きが始まった。だが、朱音も負けてない。

「ふん、また勝手なことばっかり。だって大樹言ったじゃん、反応しないって」

「あ、それ?試してないからなぁ…」

 嘘ではない。朱音を抱く以前の不能は実証済みだが、それ以降試していない。
 もっとも大樹にはそんな事試す気はさらさらないが。

「試すの?!ダメ、浮気禁止!!」

「じゃあ好きな時に襲っていいな」

「嫌だ!襲う襲うってそればっかり。たまには襲われる方の身になってよ!」

「いいよ、じゃ、朱音が襲ってくれたら浮気しない。あ、一生朱音以外には触れないってのも付けようか? よし、交渉成立」

「え、ええっ……!!!!」

 ――またやられた?!

 運転中につき前を見たままニヤっと笑った大樹をじーっと睨んで、すぐに落胆の溜息を吐く朱音。

 ここでむやみに反論しても無駄なのはもうわかっている。
 そして無駄な抵抗は余計な付録つきでお返しされるのも。しかし今回の場合、常に襲うのは大樹だし、 朱音が大樹を襲う事はないし、襲わなければ結局大樹が襲うので……

 ここまで考えて朱音はふと気付く。どっちにしても大樹が襲うことには変わりない????



   すっかり助手席が朱音の定位置となった大樹の車の中で、朱音は一人百面相でどうやらこの譲歩に 納得してないようだ。

 すでに凜子も大樹のアメリカ行きは承知しているが黙っていてくれている。
 大樹は自分の正体も含め早く朱音に打ち明けねばと思っているが、 来週に控えたローザのオープン前にお互いに忙しく、今は余計な問題で朱音を動揺させたくなかった。

 そんな事より早く帰って朱音に触れたい。
 大樹は逸る気持ちを抑えアクセルを踏み込んだ。



――  ◆  ――  ◆  ――




 玄関のドアを閉めオートロックの音がカチャリと鳴るのを確認した大樹は、靴を脱いでいる朱音を呼ぶ。

「朱音」

 朱音が振返ると大樹はすぐに朱音を抱きしめ、朱音の髪に顔を近付けると、

「朱音の髪いつもと匂いが違う」

と匂いを嗅いでいる。

「凜子さんのシャンプー使ったから」

 凜子の髪の匂いを嗅いだ事はないが、そう言われてなんだか凜子を抱いてるような気がしてきた大樹は 急に気持ちが萎えてきた。
 心の中でいつもの朱音の匂いがいい。早くシャワーを浴びさせるか。と思う。

 朱音を抱きしめた腕を緩めると朱音はそっと抜け出しリビングへ向かい、 バッグをポンとソファに置くと自分もそこに倒れこんだ。
 仰向けになって大きく伸びをして、「やっぱり家が一番いいなぁ」 と、モドキを抱きしめる。

 大樹は仰向けの朱音の頭を持ち上げると、その場所に腰掛け朱音の頭を自分の膝の上に乗せた。
 膝枕の朱音を見下ろし指で髪をすくうと、「ねえ」と朱音が見上げてきた。

「凜子さんは旦那さんと一緒にお風呂に入るんだって。ねえ大樹、それって普通なの?」

 凜子に何を吹き込まれてきたのかと思いながら、いきなりの質問に大樹はフッと笑ってしまう。

「普通だと思うよ」

「え?普通なの!?」

 頭を起して聞き返す朱音の表情は驚いている。

「普通。朱音も俺と入る?」

「嫌だ、恥ずかしいじゃん。え?じゃあ大樹も誰かと一緒に入ったことあるの?」

 朱音はいったいそんなこと聞いてどうしたいんだ?

「あるよ。朱音だってあるだろ」

 朱音は大きくブンブンと首を横に振る。

「あるわけないじゃん。一緒にお風呂なんて恥ずかしい」

「一度もない?恥ずかしいってベッドの中じゃもっと恥ずかしいことしてるじゃないか」

「あ、凜子さんもおんなじこと言ってた」

 おんなじことっていったい凜子とどんな話をしてたんだ。と大樹は心の中で呟きながら、恐らく休み明け早々 に凜子はこの話題で何かしら言ってくるなと思う。
 余計な事を喋ってないだろうな、と朱音を見れば体を起してこっちをじーっと見ている。

「じゃあ経験者の大樹に聞くけど、一緒にお風呂に入って何するの?」

 真面目な顔で聞く事か?と思いながら大樹は答える。

「洗ってあげたり、」

「洗ってあげて?」

「洗ってもらったり、」

「洗ってもらって?」

「いちゃいちゃしたり、」

「・・・・・・」

「いちゃいちゃしたり、」

「・・・・・・」

「いちゃいちゃしたり」

「って、いちゃいちゃばっかりじゃん」

 べつに朱音をからかっているわけじゃないが、大樹は可笑しく思えて仕方ない。 だいたい、一緒に風呂に入るのが普通かどうか聞いてくること自体可笑しい。

「そんなのお風呂に入る本来の目的から逸脱してるじゃない」

「そう?どっちも裸になるだろ」

うっ、大樹の言うことはもっともだ。

「そうだけど……」

「試しに一緒に入ってみる?」

 ニヤッとする大樹に、朱音は顔を真っ赤に染めてもちろん拒否。
 大胆かと思えば変な所でウブな朱音の肩に腕を回すと顔を覗き込んだ。

「俺からしたら今まで一緒に入ろうと思わなかった朱音の方が不思議。 ラブホに行けばいかにも一緒に入れと言わんばかりのでかい風呂があるだろ」

「行ったことないから知らない」

「ない?」

 大樹が驚く。今どきラブホに行ったことくらいあるだろう。

 そんな大樹に朱音は上目づかいで軽く睨む。

「どうせデートの定番の水族館も行ったことない私です!」

 プイと横を向く朱音の顔は真っ赤で、いったい今までどんな男と付き合ってたのかと 聞きたくない気もするが興味もわく。

「まあ、そんな所に行かなくても出来るし」

 実際に自分と朱音も行ってない。

 ニヤニヤする大樹に、朱音は過去の男たちとも大樹と同じように何度も抱かれる女だと思ったに違い ないと思ってしまう。もちろん大樹はそんな意味で言ったのではない。

「変な想像しないでよ!最初の人はいっ……!」

 ここまで言ってから、朱音は何だかとんでもないことを口にしている事に気付く。

「な、なんでもない!」

 小首を傾げその先を待つ大樹。

「最初の人の先は?」

 意地悪そうに聞いてくる大樹に、朱音はプイとそっぽを向く。

 ――言えるかそんな事!

「言えないの?」

「き、聞いてどうするのよ」

「言いだしたのは朱音。それともそんなに言えないようなことしてたとか?」

 朱音に言えと言っておきながら大樹は嫉妬でもやもやした気分だった。
 時折ベッドの中で見せる大胆な朱音は過去の男の賜物だと思うと、 いまさら過去をどうにもできないが悔しい気分になる。
 同時に最近はやや落ち着いていた朱音への独占欲がメキメキと湧いてくる。これからの朱音の“初めて”は当然ながら 自分が頂くが、過去の初めてはどうにもならない。ましてや初めての男と聞けば気分は悪くなる一方。

 大樹の場合、自分の過去は棚に上げてなのだが、自分勝手な彼にはそんなことはどうでもいい。

「言わないの?だったらどうなるかわかってる?」

 間近に迫る大樹の顔。
 朱音にはどうなるかわかっているがわかりたくない。





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