16 灯台下暗し -1




 夏真っ盛り8月

「かっわいい〜!!」

 例のドレスが届いたとの知らせに、朱音とケンは三階のウェディングサロンに飛んでやって来た。
 出来上がったドレスをマネキンに着せた二人の第一声がかっわいい〜だ。

 チュールたっぷりのプリンセスラインのそのドレスは、朱音達が注文したように足が見えるように、前は膝下から 後は足首が見える位の長さに綺麗に流れるラインでカットされ、さらにシルクの薄ピンク色の薔薇のコサージュが 散りばめられていた。
 そしてベールはドレスに合わせ首までも届きそうにないほど短い。

 さすがデザイナー先生の手にかかれば、朱音たちのイメージを遥かに超えた傑作。まさに『エクセレント・ローザ』 と名付けられた新しい結婚式場の為だけに作られたドレス。
 新郎には薄いシルバーのロングタキシードで、二つ並べてみるとまさにお似合い。


「ケンさん、デジカメ」

 ケンは朱音に言われドレスとタキシードを色々な角度からデジカメに収める。

「ケンさん、ブーケの髪飾りですけど、色違いのピンクの薔薇なんてどうですか?」

 ケンは手を止めてドレスをじっと眺めると、う〜んと考える。

「いいんじゃない?早速フラワーショップに行きましょうか」

「それにしても本当に可愛いドレス」

 ドレスの横に立って眺める朱音は、まるで憧れのウェディングドレスを見つめる普通の女の子。

「そのドレス朱音ちゃんにとても似合いそうね」

「ええ?そうですか?でも私ひらひら苦手で…多分似合わないと思う」

「そうかしら?私は似合うと思うけど」

 ふりふりは大樹の選んだ服だけで充分と、朱音はケンの急かして企画室へ戻ろうと手を引いた。

 朱音に手を引かれるよう従業員用のエレベーター前までやって来ると、▼ボタンを押して待つ。
 なかなか来ないエレベーターにまだかまだかと、現在地階数を点灯する数字を見上げていると、隣の役員用の エレベーターがチーンと鳴り今この階に到着した事を告げている。

 従業員用の出入口はここ三階。当然上から来たエレベーターに乗っているであろう役員はここで降りるはずで、 音につられてケンと朱音が役員用のそれに視線を向けると、開いた扉から真っ先に一人の男が出てきた。

 顔は見なかったが、会社の偉い人に違いないので朱音は咄嗟に頭を下げる。
 下を向いた視界から男の足が出入口に向かうのが見え頭を上げると、先行く男の後ろにもう一人壮年の男。

 一瞬その男と目が合い、朱音はまたちょこんと頭を下げる。そんな朱音を男は小首を傾げ見ていたが、すぐ後ろから秘書 の女性に促され、前行く男の後を急いで追いかけて行った。

 ん?どこかで会った?

 首を捻り朱音は出入口に向かうその男の後ろ姿を見ていると、男が急に立ち止り振り返る。
 ちょうどその時、待ちに待ったエレベーターの到着を知らせるベルが鳴り、朱音はその男が振り返ったのには気付かず エレベーターに乗った。



――  ◆  ――  ◆  ――




 鈴木専務は社長に続いてエレベーターを降りると、二人の男女の社員が目に入った。 前行く社長は気にも留めていない様子で歩いて行ったが、ふと女性の方と目が合う。

「ん?」

 どこかで会ったような…?

 専務はそう思ったが、ここの社員なら名前は知らずとも、一度や二度すれ違った事もあるだろうと思い直す。

「専務、お急ぎを」

 社長秘書に促され出入口に足を向け歩き出し、数歩行った時ハッと思い出し振り返った。

 そうだ、あの時の!!

 既にその時、その女性はエレベーターに乗り込む所で横顔しか見る事が出来ない。しかし専務は絶対にあの時の女性 だと確信して、踵を返すと大急ぎで社長のもとへ歩きだす。


 出口では社長専用車が待機しており、社長はすでに後部座席に座っている。少し慌てた様子の専務が乗り込むと運転手が 静かにドアを閉めた。
 頭を下げる秘書を残し車がゆっくり走りだすと、社長の基樹がずっと年上の専務をちらりと見た。

「どうしたそんなに慌てて」

「社長、今エレベーターの所にいた女性!」

 女性?そう言えば誰か二人立っていたな。
 基樹はその時の様子を思い浮かべるが、顔までいちいち見てはいない。

「その女性がどうかしたのかな?」

「まさか社長、気付きませんでしたか?彼女がいつか大樹君に紹介された女性ですよ!」

「!」

 基樹は驚いた表情を専務に向ける。大樹のことだ、社内の者と付き合うなどとは考えにくい。

「いや、そんなはずはない。見間違えでは?」

「いいえ社長、」

 専務は真面目な顔で基樹に向き直る。

「私はこの目ではっきり見ているんです。間違いなくあの女性です」

 きっぱり自信を持って言い切る専務に、基樹はしばし無言。まさかと思うのものの、ふと凜子の言葉を思い出した。

『火のない所に煙が立たないようにまかぬ種は生えぬ。そして灯明で尻を焙って下暗しだ』

 なるほど、俺はとんだ見当違いをしていたわけだ。

 基樹は納得すると笑いが込みあげてきたが、ここではぐっと堪えて専務に言った。

「知らせてくれてありがとう」



――  ◆  ――  ◆  ――




 大樹のマンションでの同居?同棲?居候?生活も半月以上過ぎていた。

 ここは横浜のアパートからの通勤より遥かに楽だ。もっとも朝は大樹の車で出勤し、帰りも時間が合わない時だけ電車で 帰って来るのでこれ以上の楽はないが、週の半分以上帰りは電車だ。

 そんな時は駅前で買い物をして、前もって大樹の帰りが遅いとわかっている時以外、一宿一飯の恩義と、朱音は大樹が 食べるかどうかはさて置き夕食を用意しておく。

 とは言え、大樹にしっかりとカードと現金を持たされ、生活にかかる費用に関して朱音の財布は全く出る幕なし。
 ならば労働と思うが、ハウスキーパーがいてそれも出る幕はないしこんな広い部屋は勘弁。
 大樹は大樹でそんなことさせるために引越しさせたわけじゃないと、必要最低限の家事以外はさせない。

 楽と言えば楽だが、この生活から離れた時を思うと憂鬱になる。
 一度楽を覚えた体は、面倒な事はしたくないものだ。

 最上階の大樹の部屋に入ると朱音は勿体ないと思いつつ、一人の時は必ずリビングから見える場所全ての照明を つけ、声がしないと寂しいので大きなテレビの電源を入れる。
 無駄に広いこの部屋にポツンと一人いるのは未だに慣れない。
 今までは部屋の真ん中にいれば、手を伸ばすと何でも取れるような狭い空間。だからこの広さはどうしても 落ち着けない。

 朱音はさっさとシャワーを浴びて簡単な夕食を済ませるとリビングのソファに座り、持ち帰った資料をテーブルに 広げた。

 出来あがったばかりのドレスの写真と、思案中のピエスモンテの写真。

 ピエスモンテとはチョコレートと飴で出来た工芸菓子。
 一般的には観賞用だがもちろん食べられる。
 朱音は常々思っていた、どうしてウェディングケーキは本物じゃないのかと。第一食べられない。

 何かないかと探している時にこのピエスモンテに出会ってしまった。
 ガラス細工のような質感がなんともパワーストンに似ているし、たまたまパワーストンのカタログで見たハート形のローズクォーツを 使って何か出来ないかと考えていた所だ。

 しかし問題はひとつ。このピエスモンテはパティシエなら誰でも作れるというものではないらしい。

 思いついたはいいが、そこまででそれ以上手が回らないでいるのが現実。
 こうして資料を持ち帰ってひと通り目を通すが、 エアコンの効いた部屋でクッションのいいソファに座っていると、すでに気分はくつろぎモードで頭が働くわけでもなく、 朱音は資料をテーブルに放るとテレビに視線を移した。

 特に見たい番組があるわけではないがテレビは点けっぱなしだ。時計を見ると10時を過ぎている。
 まだ大樹は帰りそうにない。

 はぁ〜と長い息を吐いて朱音はソファに寝転がりマンボウを抱える。
 じっと広い天井を眺めていると、ふと頭に浮かぶのはいつまでこうして大樹と一緒にいられるのかという不安。

 大樹がそばにいる時には感じない寂しさに朱音は思う、大樹なしでいられなくなりそうな自分が怖いと。
 ずっと一人でも大丈夫だったのに誰かと一緒にいる事を知ってしまった今、一人に戻る事はたやすいことではない。

 オプションを使ったあの日から、時に意地悪で勝手な大樹はそのままだが、気のせいか日に日に大樹は朱音に対して 優しく接する時間が多くなったように感じる。

 そんな大樹が触れる指先も、抱きしめられた腕の中も朱音には心地よすぎてどうしても甘えたくなる。
 この広い部屋は余計に一人の寂しさを思い知らせる。 大樹の気持ちを知らない朱音は、考えないようにしていても時折ふと思ってしまう。このごっこはいつ終わってしまうのだろう と。

 考えても仕方のないことだと、朱音は不安に負けそうな自分から目を逸らすようそっと瞼を閉じる。




 暫くして玄関のドアが開く音と共に大樹が帰って来たが、いつの間にか深い眠りについた朱音が気付く はずもない。

 大樹はリビングに続く廊下を歩くうちに、照明は点いているが朱音の気配がしない事に気付いた。

 静かにリビングまで来ると毎度のように眠る朱音を見て、またか、と思う。
 全くどうしてここで寝てしまうのだろう。俺は朱音の運び屋か?

 胸の中で呟き、しゃがみ込んで朱音の寝顔を覗きこむと、気持ち良さそうな寝顔についつい口元が緩んでしまう。

「さてと」

 大樹は寝たら起きない朱音を慣れた手つきで抱き上げベッドへ運んで行く。
 もう何度もしているようにベッドに下ろすと上掛けを掛け、朱音の髪を指ですくい額にキスを落とす。

「おやすみ」

 小さな声で囁いてベッドから体を離そうとした時だった。

「……だい…き…いかな……で…」

 起きた?そう思って朱音を見たが眠っている。

「寝言か…」

 大樹は朱音の頬を指で擦る。
 最近、時々寂しそうに甘えてくる朱音に思う。何がそんなに不安なのだろうか?
 当然、とっくに朱音が好きだと伝えたつもりでいる大樹に、朱音の抱く不安など到底わからない。

「ここにいるよ」

 大樹は暫くの間、朱音の寝顔を眺めていた。




 シャワーを浴びて大樹は冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを手に取り、リビングのソファに勢いよく 腰を下ろす。
 乾いた喉を潤すように水を一気に流し込むと、テーブルに置きっぱなしの朱音が持ち帰った資料に視線を 落とした。

 腕だけ伸ばしそれを手に取ると、ひらりと一枚、何かが床に落ちる。

 大樹は手にした資料をテーブルに戻し床に落ちた物を拾い上げ、見るとそれは写真で、マネキンに着せたウェディング ドレスが写っていた。

 例のドレスか。
 大樹が写真のドレスを眺めているうちに、ふと思った事が口から出てしまう。

「朱音に似合うな」

 朱音がこのドレスを着た姿を想像してニヤニヤする自分に思わずハッとした。

 いったい朱音が誰の隣でこのドレスを着ているのを想像したのだろう?
 俺か?いや、まだ結婚など考えていない。ならば他の誰か?待て、それこそやめてくれ、考えただけで腹が立つ。 他の男にくれてやるくらいならさっさと俺が貰う。

「・・・・・・・」

 俺は今、何を考えた?

 大樹は長い溜息の後に呟いた。

「結婚か……」
 





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