13 抑えきれない想い -2




 買い物と昼食を終えて戻ってくると朱音は早速掃除に取り掛かる。

 当然やる気でいた大樹を邪魔だからと書斎に押し込み、その代わり寝室とリビングダイニングしかやらないからね、 と宣言して、掃除のどこが楽しいのか浮き浮きした様子。


 おやつの時間に合わせたように掃除を終えた朱音は、「ま、こんなもんでしょ」と、 満足げに部屋の中を見回した。

 週明けにはハウスキーパーが来るから適当でいいと大樹は言ったが、自分で決めたノルマをクリアしたその達成感に こそ労働の後の楽しみは満喫できるのだ。

 そして達成感に浸りながらの労働の後の楽しみは今目の前。
 ソファに腰掛ける大樹の足もとの床に朱音が座るのがもはや定番。ローテーブルには大樹の淹れたコーヒーと、 散々悩んで選んだレアチーズケーキ、もちろん丸ごと。

「いっただっきま〜す」

 いちいち切らずにフォークを入れるのも定番な朱音は、大きな口を開けて一口。 そしてもう一度フォークで掬って、今度は大樹の口に運ぶ。

「なんでも屋って便利だな」

「そうでしょ、でも今回きりだからね」

「ああ、でも朱音が掃除好きで助かった」

「別に好きなわけじゃないよ。仕事だと思えば体も動くけど、疲れてたりすると 自分の部屋なんか少々の埃じゃ死なないって見て見ぬ振りする事あるもん」

 クスクス笑って肩をすぼめる朱音。
 確かに、掃除したそばから落ちる埃をいちいち気にしていたら生きていけない。
 こんな会話からも朱音を知ることが出来るが、大樹はもっと朱音の事を知りたい。

「ヴィラのなんでも屋は大変だな。自分の部屋も掃除できないほどこき使われるのか」

「でも三食寝床付きだったから自分ちみたいなもんだったけど」

「え?社員寮にいたのか?」

「知らなかった?」

 聞き返されたが聞いてないものは知るはずもない。
 朱音が企画室に配属になった時に提出した履歴書は見たが、そんな事まで書いてあるはずもなく、高校 卒業後しばらくしてオーシャンヴィラに入社した朱音の職歴はたった一行。

「実家は?」

「私家なき子だから実家はないの」

「ないって、両親は?」

「うち母子家庭。で、お母さんはもう亡くなってるから私一人だけ」

「いつ?」

「高校卒業してすぐ。だから専門学校に進学決まってたけど、バイトだけじゃアパートの家賃と学費なんて 払えないしね」

「それでヴィラへ?」

「うん、タイミング良く募集広告を見つけたの。だって三食寝床付きって魅力的でしょ?しかも通勤時間ゼロ分。 面接は東京のオフィスだったし、社長に食べさせてくれる上に寝るとこまで提供してくれるならなんでもやります! って言ったら即採用。初めは慣れなくて疲れるばっかりで、埃くらいじゃ死なないって思うようになったのはその頃。 東京のオフィスは楽だったから今じゃ懐かしい思い出だけどね」

 村上らしい採用基準が笑える。そして  ケーキを口に運ぶのは忘れず笑いながら話す朱音。
 笑って聞く内容でもないが、朱音が大樹の顔を見てニコッとするので大樹も笑い返す。

「でもヴィラから見える夕陽が疲れなんか忘れちゃうくらいすっごく綺麗で、 それを見るのが大好きだったの。あ、私の色だって」

 朱音色の夕陽。大樹の脳裏に茜色の夕焼けが浮かんだ。
 聞いてみなければわからない事はいくらでもある。当然のように朱音には両親もいて実家もあると思っていた。
 朱音は一人になった時、寂しく思わなかったのだろうか?
 今でこそ笑って話しているが、寂しくないわけがない。

 家なき子か。朱音の言葉につい自分を重ねてしまう。
 俺の場合、自分で失くした子だな、と。
 もう何年実家に足を踏み入れてないだろう?仮にぶらっと立ち寄る事はあってもこの年になれば戻る気もない。
 もっともあの兄と母は間違いなく大歓迎だろうが、あの家は大樹にとってみたら自分の居場所がなくただ居辛いだけの場所 としての思い出しかない。
 同じ帰る家がなくても男と女では違うのかもしれない。きっと朱音からしたら大樹には心配性な母とお節介な兄でも、 いるだけましだと思うだろう。

 ガキだった自分がしでかしたんだけどな。 と、胸の中で呟くと朱音が腰を浮かせて隣に腰掛けてきた。
 自然と肩に腕を回して朱音の髪に唇を寄せた。

「一人になった時、寂しくなかった?」

「少しはね。でもヴィラでは一人になる事はなかったし、今は東吾さんや皆もいるし仕事も楽しいから 寂しいって思ってる暇ない」

 刹那の沈黙。

「朱音、こういう時は嘘でも真っ先に俺の名前を言え」

「あれ?言わなかった?」

 わざとらしく答える朱音に大樹はフンと鼻を鳴らす。

「いい加減に俺の扱いを覚えたら?」

 朱音はクスッと笑うと少し体を前に倒し下から大樹を覗きこんだ。

「うん、誰よりも大樹がいてくれれば寂しくないよ」

 朱音の本心だった。
 今日のこの落ち着いた雰囲気がそうさせたのか、素直な気持ちがすんなり口から出てくる。

 当然に憎まれ口な返事が返ってくると思っていた大樹は、一瞬驚いた顔をしたあと、ゆっくり口角を上げて 微笑んだ。

 下から覗き込む朱音の仕草がやけに可愛らしく、こんな朱音を大切にしたいと大樹は思う。

「いるよ、いつでも朱音のそばにいる」

 優しく囁く大樹に朱音の鼓動が早くなる。
 こんな事を極上の微笑みで囁かれたらもう気持ちを抑えることなど出来そうにない。

「大樹……」

 名を呼んだと同時に顎に掛けられた大樹の指に顔を上に向かされ、すぐに大樹の唇が下りて来た。

「いっぱいキスしてあげる……」

 暖かい大樹の唇が朱音の唇をついばむ。

「いつでも抱きしめてあげる……」

 甘く甘く囁いてそしてキスの雨を降らす。

「朱音…」

「あ…」

 もうダメ…抑えきれない。

 心地いい大樹の腕の中、優しいキスと甘い囁き。そして堰を切るように溢れだす想い。
 頭で考える事を心が許さない。何も考えられない。わかっているのは大樹が好きだという事だけ。
 もう止められないのなら行き着くところまで行けばいい。どっちにしても後悔するなら、気持ちに素直に なった方がいいに決まってる。

「…あ…っ、大樹…私、大樹が好き……大樹が好きなの……」

 吐息と共に溢れだした想いが言葉となってこぼれる。
 それでも執拗に唇を重ねる大樹に、これでもかと想いが溢れて止まりそうにない。
「もう一度」

「好き…」

「もう一度言って」

「大樹が好き」

 はっきりと朱音の口から聞きたかったこの言葉に、大樹の口づけは次第に強く押しつけるように朱音を味わっている。

「はぁ…」

 朱音の体は芯から熱を帯びたように熱くなって思わず吐息が漏れる。
 体中の力が抜けそうで大樹の首に腕を回すと、大樹は薄く開かれた朱音の唇に舌で促した。
 それに応えるよう朱音は唇を開くと自然に大樹を受け入れる。
 舌を絡め激しくなる口づけに朱音が声を洩らすと、大樹の下半身が一気に熱くなる。

 これ以上はダメだ、抑えきれなくなる。

 大樹はゆっくり唇を離し朱音を見ると、潤んだ瞳でその先をねだるように大樹を見つめている。

「そんな顔したら…」

 解き放たれるのを待つばかりの欲望はもう自制は利かない。

 大樹は強く朱音を抱きしめると切羽詰まった様子で囁いた。

「ダメだ、もう我慢できない……朱音が欲しい」

 早く打つ大樹の鼓動を聞きながら、朱音自身、心も体も…もう我慢など出来ない。

 私も大樹に抱かれたい。

「いいよ…」

 その瞬間、大樹の理性はどこかに飛んだ。
 朱音を抱きたい欲望しかもう残っていない。

 それでも、最後に少しだけ残った理性で朱音に尋ねる。

「最後にもう一度聞く、やめるなら今のうちだよ。でなければもう止められない」

「やめないで…大樹」

 朱音の言葉に大樹はソファから立ち上がると、待ちきれないと朱音を抱きあげた。





感想などいただけると嬉しいです。誤字脱字も コチラから

inserted by FC2 system