4 久し振りの外食 その1




   思いつく限りのお断り理由を言ってみたけど、村瀬さんはそんな事には耳も傾けず、コピーを終えてなんとか逃げようと する私の腕を掴んで離してくれない。
 一緒に食事に行かなければ、腕を掴んだまま家までついて来そうな気がして、会社を出たところで私は観念した。

「行くから離して」

 思いっきり睨んだら、村瀬さんはニコッと笑ってすぐに離してくれた。
 その笑顔が以前誉められた時に向けられた笑顔と同じで、思わずドキッとしたのはもちろん必死で隠した。

「じゃあどこ行こうか?この辺もずいぶん変わったな、三年振りだからどこがいいのかわからないよ」

 つい三ヵ月前まで仕事が終われば速攻帰宅で夕飯の支度。この辺で外食なんてたまに 卓也とランチするくらい。
 その上元旦那様は外食嫌いとくれば、おのずと外食から遠ざかってた私…。ああ、会社の飲み会を 外食というのならそれ位はしてたわ。って、情けない。

 三年間ここにいたけど私もわかりません。

 喉まで出かかって止めた。だってなんかそれってあまりにも寂しい女みたいな気がして……

 必死で、“誘ったあんたが決めてよね”と目で訴えたら、村瀬さんは、ん?って顔して、思いが通じたのか、 「俺が決めちゃうけどいいな」って言った後、「そうだ、あの店まだある?」って私に聞いてきた。


 そう、村瀬さんは一緒に仕事をしている時からそうだった、私がして欲しいことや思ってること、どう処理していいか わからないこと、わざわざ口に出さなくても何故か彼にはわかってしまう。

 村瀬さんはエスパーですか!?って冗談で聞いたことがあったけど、自分の補佐役の面倒も見れない奴にリテール営業 なんて出来ないだろ。って笑って答えてた。
 もう彼の補佐役じゃないのに、思いがけず通じてしまってホッとしたのも束の間、彼の言う“あの店”がまさか“あの店” だとは、次の言葉を聞くまでまったく思いもしなかった。

「結衣好きだったよな、何だっけ、店の名前は忘れたけど、いつもピザかグラタンで悩んでたよね。ここのは どっちも美味しいから迷うって。あそこなら遅くまでやってるし、結衣の顔見たら俺も久々に食べたくなった」

「……和蘭芹おらんだせり?」

「そうそう、和蘭芹」

 オランダが付くからって別にオランダ料理の店ではなく、何でもありのちょっと小洒落た洋食屋さん。
 一緒に担当店舗を回った帰りに、村瀬さんと見つけた四人掛けのテーブルが6席しかない小さなお店。
 決して広くない店内だけど、各テーブルごとそこそこ距離が保たれていて、隣の席が気になることはないし、適当な 音量のBGMはお喋りの邪魔にはならない。夜は照明を少しだけ落としてい、洋食屋さんというよりちょっと大人の レストラン的な雰囲気さえする。

 初めて入ったその日に二人とも気に入ってしまって、店舗回りの帰りに二人で時々行ってた。

 和蘭芹の意味をマスターに尋ねたのは二度目に行った時。
 和蘭芹はパセリの和名で、マスターの子供の頃の洋食のイメージって“必ずパセリが添えてある”で、それで お店の名前にしたんだって。

「まだやってるのかな?」

 問いかけるように僅かに首を傾げる村瀬さんに、私は、  はい、まだあります。担当店舗はそこの近くですから知ってます。三年前の姿かたちそのままでまだやってます。 あれからすっかり行ってませんが!と、心の中で答えた。

 だって、あの店は……大げさかもしれないけど私にとって、人生のターニングポイントになった出来事が起った場所だから、 出来れば行きたくない。しかも、そのターニングポイントの素を作った村瀬さんご本人となんて。

 あんたが決めてよね目線を送ったのは間違いなく私だけど、まさか和蘭芹に行くだなんて思いもしなかった。


「知らない?結衣の担当の近くだろ」

 うっ、そうだ、さっき資料見て私の担当知ってるんだ。知らないなんて言えないじゃない。

「……臨時休業でないかぎりやってる、と思います…」

 正直に答えるしかない私に、村瀬さんは知ってるなら早く言えよ、と、私が逃げると思ったのかまた腕を掴んで、 もう片方の腕でちょうど通りすがったタクシーを止めていた。


 逃げ出さないようになのか先に私をタクシーに押し込んで、村瀬さんは運転手に行き先を告げた。
 ここからだと目的地まで10分もかからない距離だけど、二人して黙って乗っていればそれは20分にも30分にも 感じる。
 だって村瀬さんからは何も話しかけてこないし、私も話す事がないから。

 仕事の話をすればいくらか気も紛れたのかもしれないけど、今だに有効かどうかはわからないけど、村瀬さんが私を 『結衣』って名前で呼ぶ時は、仕事の話はしないってルールがあったから。

 過去のルールを守る必要があるかどうかはこの際さておき、私は仕事以外で彼と話すことなんてないし、話す必要も ない。それよりも、村瀬さんが懐かしそうに外の景色を眺めてるのを邪魔しちゃいけないような気がして。


「この辺は変わってないな」

 目的地到着直前に村瀬さんがぼそっと呟いた一言に私が顔を向けたら、「ん?」って村瀬さんも私の顔を見た。

「結衣は…変わっ……」

 村瀬さんが言いかけた時、和蘭芹の前についたタクシーが止まった。

「え?」って聞き返す私に、村瀬さんは笑って「何でもない」って運転手さんの方に顔を向けた。


 タクシーを降りた村瀬さんは和蘭芹を見た途端、懐かしいって躊躇せずドアを開けて中に入って行く。

 村瀬さんが半分ほど席が埋まっている店内をぐるっと見回すと、 「いらっしゃいませ」と、 よく知った声と同時に顔が現れて、私と村瀬さんを見るとちょっとだけ驚いた顔をして、すぐに満面の笑顔になって 私達の元へやって来た。

「おやおや随分と久しぶりなお二人だね」

 満面の笑顔でやって来たのはこのお店のマスター。三年前と全然変わらぬ風貌で私達を迎えてくれる。

 あ、でもよく見たらだいぶ白髪が増えたかも。

「最後に来たのはいつだったかな?もう忘れられてると思ってたよ、えっと…村瀬さん」

 名前を覚えていてくれたことに気をよくしたのか、村瀬さんはにっこりとマスターに笑い返した。

「すみません、しばらく海外にいたもんで三年ぶりです。よく名前まで覚えてましたね」

「商売柄人の顔と名前を覚えるのは得意なんだよ。しかしもう三年経つとは、早いもんだね」

 マスターはそう言いながら、村瀬さんのすぐ後ろで隠れるように立っている私に視線を向けた。

「あれ?……結衣ちゃん?おやおや、綺麗になっちゃってすぐにわからなかったよ」

 お世辞はいいから!と、私は心の中で呟きながらぺこっと頭をさげた。
 マスターはにこにこしながら一番奥の席に私と村瀬さんを案内すると、ちょっと待ってて、と席から離れて行く。

 しかし、マスターの記憶力の凄さには脱帽。名前どころか、いつも来るたびに空いていれば必ず座ったテーブルに 案内するとは。

 その上、ちょっと待っててと言って持ってきたのは、よく二人で頼んでいた白ワイン。
 今日はサービスだよっていきなりグラスに注いでくれちゃったりしている。その上食事も任せてって私達に 決定権はなし。
 そんなマスターに村瀬さんは相変わらず仕切るの好きだなって言って笑った。
 前からワインを注文すると必ずそう言ってメニューを持って来さえしなかったから。

 マスターの背中を眺めながら、思わず私もそのことを思い出してクスッて笑ってしまったら、 向かいの村瀬さんの視線に気付いて顔をそっちに向けた。

「なんだ笑えるじゃないか」

「え?」

「ずっとここに皺寄せてたから、笑うのを忘れてるのかと思ったよ」

 言いながら村瀬さんは自分の眉間を指差す。

 うっ、卓也にも言われたばっかり。そう思いながら私は眉間に指を当ててそれを伸ばすように擦ってみた。
 そりゃあんたと一緒じゃ笑えるか!

 私は徐にワイングラスに手を伸ばし、くいっと飲んでしまおうと口元に持っていった。

「待って、乾杯しよ」

 口につける間際、村瀬さんの一言でグラスを持つ手が止まった。

「何に乾杯するの?」

 ちょっと意地悪く言ってみれば、村瀬さんはニヤって笑ってから、

「結衣との再会に」

 って言って、腕を伸ばして強引に私の手にあるグラスにコツンと自分のグラスを傾けた。

 別に乾杯するほどの再会じゃない!ってか、再会なんてしたくなかったかも!

 そうだ、こんな時は飲むっきゃない。
 ちらっと睨んで私はグラスのワインを一気に飲み干すと、村瀬さんは目を細めて、

「その飲みっぷり、変わってないな」

 って言って、自分はほんの一口だけを口に含んでる。

 一気に飲んだワインが空腹の胃袋にカーッと沁み渡った。
 こんな一瞬で酔うわけもないけど、なんだかもうどうにでもなれな気分になって、私は空のグラスを 村瀬さんに突き出していた。

「おかわり!」

 クスクス笑いながら村瀬さんはワインのボトルを手にして、私のグラスに注いでくれる。

 相手は上司?フン、そんなこと関係ない。
 もし、まだ村瀬さんが『結衣』と呼ぶことで仕事とプライベートのオン、オフをしてるなら、 今は上司でも部下でもない。私は注がれたグラスを口元まで運ぶと、「どうも」と、村瀬さんに向かって少しだけ グラスを掲げ、今度は一口だけ口に含んだ。


 ふぅ〜って息を吐いて、私がグラスをテーブルに置くと、村瀬さんが何やら私の顔をじーっと眺めていた。
 最近こんなに顔を見られたことなんてない私は、少しでも距離を稼ごうと思いっきり背中を反らせた。

「顔になんか付いてます?」

「いいや。マスターの言う通り、結衣、綺麗になったな。なかなかの美人だ」

「お世辞はけっこうです。眉間に皺寄せてる美人なんて聞いたことありませんから」

 私はそう言って今置いたばかりのグラスをまた手にしていた。
 正直、お世辞でも綺麗になったなんて言われて嬉しくないわけない。でも、相手は村瀬さんです。 過去の経験から彼のここでの言葉なんて信じちゃいけない。
 嫌な記憶が思い出されて、手にしたグラスのワインをまた半分ほど一気してしまった。

 うっ、さすがに空腹に二杯目は効くなぁ……。すでに気分は酔っ払いかも。
 そんな時、ニコニコ顔のマスターが「待ってる間これでも摘まんで」て、これまた私が大好きなチーズの盛合せを 持ってきた。

「おや?結衣ちゃんなんか機嫌悪そうだね」

 呑気なマスターはそんなことを言いながら村瀬さんの顔を見た。

「みたいですね。どうやら俺との久々の再会がお気に召さなかったようですよ」

 だからいちいち答えるな村瀬さん!

「久々って、そんなに会ってなかったのかい?駄目だよ、恋人同士はまめに会わないと」

「そうですね」

 おい、村瀬さん、訂正しろ!!恋人同士じゃないでしょ!!

 三年前もそうだけど、マスターはずっと私と村瀬さんが恋人同士だと勘違いしてる。
 そして、村瀬さんも面白がって訂正しない。 だからきっとマスターは今でも私たちがそうだと勘違いしたまんまなんだ。

 そんなことよりこれ以上空きっ腹にアルコールはやばいと、私は目の前のチーズをひとつ摘まんで口に入れた。 そしてワインをクイッと飲む。
 ちらり村瀬さんに視線を向ければ、マスターと何やら楽しそうにお話してる。

 話の内容なんて聞く気もない。
 私が空になったグラスに手酌でワインを注いでいたら、いきなりマスターが超ニコニコ顔を私に向けてきた。

 何でしょう?
 私はボトルをワインクーラーに戻してちょっと首を傾げたら、マスターが村瀬さんを一瞥してすぐに私に視線を戻した。

「二人は結婚してないのかい?」

 いきなりの問いに私は飲みかけたワインを吹き出しそうになった。
 慌てて手の甲で口を押さえ村瀬さんを見る。
 ちょっと、恋人じゃないって訂正しないからこんなこと聞かれてるじゃない!!

 多分通じると目で訴えたら、村瀬さんったらニヤって笑うだけで知らん顔。
 少々の酔いも手伝って気が大きくなってた私は、だったらいっそのこと、私が三年前からの誤解を訂正してやる!! と口を開こうとしたまさにその瞬間、 村瀬さんが目を細めたと思ったらこんなことをのたまった!!!

「マスター、いい事を聞いてくれましたね。どうしてでしょう、俺も知りたいと思ってるんですよ。ねえ結衣、どうして 俺たち結婚してないんだろう?」

 ニーッって片方の唇をあげて笑う村瀬さんに、なんだかカーッときた私はとんでもないことを口走ってたの。

「だ、だ、だだって結婚して離婚したんだからもう結婚なんかしたくないの!!」

 びっくりしたマスターが固まった。
 村瀬さんは目を丸くしたかと思ったらくくくって笑ってる。
 そして一番驚いたのは私。

 とんでもないことを言ってしまった私は、すでに酔っぱらってるのか?

   





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